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長く眠っていた。
次に瞼を開けると、傍に魔王がいた。
彼は長い指を俺の唇に触れた。何かが口の中に滴ってくる。
「飲め」
低く落ち着いた、艶のある声が言った。
俺はおとなしく口を開けた。魔王に逆らったらきっと殺される。俺は死にたくない。もう死にたくない。
魔王が俺に与えたもの。さびた鉄の味。
血だ。
気持ち悪い。ちょっと吐きそうになった。だけどその一方で、舐めるのもやめられなかった。それが、俺の渇きを癒してくれる気がして。
俺はまた眠った。それから何度も、眠って、目が覚めて、魔王の血を舐めて、眠った。
どのくらいそれが繰り返されたんだろう。俺の感覚では何か月も経ったみたいだった。同じ日が何日も何日も繰り返されるから、日にちの感覚が狂っている。
俺の精神が狂っているのかもしれないけれど。
ある日目覚めると、魔王がベッドに腰かけていた。深紅の瞳がきらめいている。
ゲームではなんて書いてあったっけ……? 確か、「その瞳を覗き込んだ者は、ひとり残らず震え上がった」。でも、俺は怖くない。
彼は俺に危害を加えたりしない。どうしてかわからないけれど、わかる。
魔王は言った。
「傷は癒えた」
言われてみれば、もうどこも痛くない。
「魔王……様? 俺を助けてくれたんですか? どうして?」
俺の喉は潰れてしまったらしい。ごろごろしたダミ声が出た。
魔王がかたちのいい眉をひそめる。声だけ治らなかったことを、不愉快に思ったのかもしれない。
彼は俺が自分を知っていることには疑問はないらしい。この世界では誰もが魔王を知っているんだ。
「どうして俺を助けたんですか?」
俺は重ねて尋ねた。知りたかったから。だって、ゲームの中の魔王は「冷酷無比な魔物の王」であって、人助けなんてするはずないんだ。
魔王は真っ直ぐ俺を見つめた。
「渡りびとは稀だ」
「渡りびと?」
「お前は遠くから来た」
魔王が言っているのは、俺が現実世界から来たということだろうか。そういう人間をこの世界では「渡りびと」と呼ぶようだ。
だけど、そんな設定、俺が知っているあのゲームにはなかった。
それに、ここはどこだろう? 城のように見えるけれど、俺たちのほかには生きものの気配がない。
訊きたいことはほかにもたくさんあった。彼は俺をどうするつもりなのか。どうすれば元の世界に帰れるのか。それに、服はどうしたらいい? 食糧はあるの?
魔王は窓を見上げた。
「私は戻る。何かあれば、小間使いに」
「えっ? あの」
止める暇はなかった。魔王は幻のように姿を消して、行ってしまった。
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