序章 血の呼び声

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 バイト先は学校の最寄り駅の近くにあるセレクトショップであった。  雑居ビルの中地階にひっそりとある小さな店だが、インディーズブランドや日本に進出していない海外ブランドの服をジャンル問わず扱っているので、ラグジュアリーなマダムからパンク小僧まで様々な人が訪れる。  セレクトショップなので、自社の服を着ろと給料から天引きして買わされることもなく、私服で接客していいのも学生バイトとしては魅力的であった。  制服のブレザーから、ダメージ加工されたガーゼシャツと、黒のレザーパンツに着替える。  靴もスニーカーから、わざわざ持参したエンジニアブーツに履き替える。  化粧を学校よりも少し濃くした後はシルバーアクセサリーを身に付け、最後に銀色の髪の中に赤いエクステを織り交ぜて『自分』が完成する。  レジに立っても、客が来ない間は店員同士で駄弁るほかない。  一緒にレジに立っている女子大生は、高い位置でのツインテールにビタミンカラーのブラウスとバルーンスカート、 ニーハイソックスにロッキンホースバレリーナ、 極めつけは水色のランドセルという派手な格好の蘭子先輩である。  蘭子先輩は大小様々のライブハウスに居座るのが趣味だ。  これから人気の出そうなバンドの予想や、面白かった出来事なんかを話してくれる。 「一昨日行った合同ライブは、かなり盛り上がったよ。会場ハコの隅で弁当食ってる奴なんて一人も居なかったもん」 「じゃあ、久々にモッシュとかしてたんですか?」 「いや、そういうタイプじゃなかったかな。EBMとかインダストリアルみたいなジャンルの人たちばっかりだったから……かっこいいけど、ノれない曲ばっかでさ。  みんなチンアナゴみたいにボケーッとステージ見てた」 「それ、盛り上がってるって言うんですか」 「言うよ! トリのCARTAGRA(カルタグラ)ってユニットは今後有名になると思うな、私の勘」 「蘭子先輩の言う有名って、世間では何それって感じですけどね」 「鎮神くんに言われたくないなあ」  蘭子先輩はこんな格好と趣味とノリだが、名門大学に通い、家族愛や恋愛の存在を信じて生きているまっとうな人だ。  鎮神は彼女と居ると楽しいが、住む世界が違うとも感じていた。  蘭子先輩は、行こうと思えばどこへでも行けて、なろうと思えば何にでもなれるだろう。  世界の暗いところに身を置くことで辛うじて世界の一部に溶け込むことができたような自分とは、きっと違う。  二人で居ると楽しい反面、その違いを思い知り、彼女への恐怖が沸き上がってくる。  それは、翔や星奈のような、決して多くない友人に対しても同じだった。  人は皆、父か母に苦手意識を抱えているものだと思っていた。  それが誤りだと気付いたのは、高校に入ってからのことだった。  勤務時間も折り返しという頃、ドアに掛けたベルが鳴り、来客を告げる。  いらっしゃいませ、とお決まりの文句を言って覗き込むと、入って来たのは翔と星奈、そして彼らと同じ演劇部員であり、『死の女神』役の武田誠美であった。 「おう、儲かってまっか」  似非関西弁で言った男子生徒が翔である。  蘭子先輩は、翔とはこの店で店員と客として数回会っただけのはずだが、もう親しげに、ぼちぼちでんなぁ、と返している。  翔と星奈はともかく、誠美まで来るとは思っていなかった。  誠美とはあまり接点が無く、翔や星奈に対してするのと同じ調子で軽口を叩くわけにもいかない。 「誠美が、鎮神の私服を見てみたいって言うから。連れてきちゃった」  薄暗い店の雰囲気に飲まれておどおどしている誠美を指して言い捨てた女子生徒が星奈だ。  彼女は言いたいことだけ言うと、困惑している鎮神を置いて蘭子先輩の方へ行ってしまう。    誠美と鎮神はカウンターの隅にぽつんと残された。 「えっと……卒業して就職する前にメイク出来るようにならなきゃいけないんですけど、周りに頼れる人が居ないから、諏訪部さんなら参考になるかと思って」  誠美はおどおどと言葉を連ねる。鎮神もどうにか会話を繋ごうとする。 「アパレル関係に就くの?」 「いえ、そういうわけでは……バス会社の事務職で……」 「じゃあおれのメイク鵜呑みにしない方がいいと思うけど」  自身の派手に塗った目元を指しながら鎮神が不思議そうに言うと、誠美は再び目を泳がせた。  しかし鎮神は先ほどまでのおとなしさが嘘だったかのように、誠美の顔を覗き込んで話し続ける。 「お堅い所だったらナチュラルメイクの方が好まれるでしょ。化粧道具は何か持ってる?」    つらつらと語り始めた鎮神の声に聴き耳を立てながら、星奈は呆れていた。  誠美は何も言わないが、彼女の興味は化粧などではなく、想い人の学外での様子を覗き見て無益だが美しい恋心を満たすことにあるのだろう。  だからこそバイト先まで連れて来てやったのに、高校生の放課後で青春、というよりは化粧品売り場でビューティーアドバイザーと話しているみたいになっている。  そういえばファッションの話になると普段の謙虚さがなりを潜めて、好奇心のままに捲し立てるというのが鎮神の悪癖だった。 「武田さんは髪も目もオリーブ色かかってるから、アースカラー似合うよ。  重くならないように、下まぶたにうっすら白のパウダー付けるとか絶対良いと思う」  わりと的確なアドバイスなのが腹立つ、と星奈は心の中で呟いた。  高校に入学したての時、教室の隅で服のデザイン画を描いている鎮神に、幼馴染の翔を巻き添えにして話しかけたのがつるみ始めたきっかけだった。  独りでいる彼を憐れんだわけではなく、単にクリエイティブな存在に興味を持っただけだ。  銀色の髪に関しては、外国の血が入っているわけではない、という話には驚かされたが、特に何も思わなかった。  もちろん家庭環境のことも、いちいち気にはしない。  そこから流れでつるむようになった。鎮神がデザインする、バンドの追っかけのような服は、星奈は着たいとも思わない類のものだが発想は尊敬している。    しばらくすると、ベルの音と共に一人の男が店に入って来た。  蘭子がカウンターを出て軽く声を掛け、それからまた戻って来た。  ただ、星奈は、そしておそらくその場の全員が、男がこんな小粋な店に用があるとは思えない野暮ったい格好であることを少し変に思っていた。  男は店内をうろついた後、カウンターからは見えない位置へ行った。  しかし星奈の目線の先にある壁掛けの姿見には、丁度彼が棚の上のアクセサリーを見ているのが映っていた。  男はブローチを一つ掴むと、素早くポケットに入れた。  万引き、と星奈は叫ぼうとしたが、でもこういうのって店を出てから捕まえなきゃ意味無いんだっけ、と思い直す。  蘭子たちにこのことを伝えないと、と思っていると、野太い悲鳴があがった。  蘭子が俊敏に男のもとへ駆ける。星奈たちもすぐに追った。    男の親指には、まさに盗まんとしていたブローチのピンが深々と刺さり、貫通しかかっていた。 「落ちついてください、こういうのは……」  言いかけた蘭子を無視して肉から針を抜くと、血の付いたブローチを棚に戻して彼は店を飛び出して行った。 「抜かずにそのまま病院、なんだけど……行ってしまったものは仕方ないね。  鎮神くん、ゴム手袋と、化学雑巾と、殺菌剤を持ってきたまえ」  蘭子先輩はてきぱきと指示を出す。  了解、と店の奥へ消えていく鎮神がやけに冷静なのが妙であった。  体育でクラスメイトが派手な怪我をした時の鎮神は、遠目に見ていただけでも貧血を起こして蹲うずくまっていたのに、とその後ろ姿を見ながら星奈は訝いぶかる。   「万引き犯と直接対決なんかにならなくて良かったです」  誠美は安堵している。 「ブローチを持った手をポケットに突っ込んだところまでは見てたんだ。  公道に出たらしょっぴこうと思っていたが……そうするまでもなく罰が当たったらしいな」  やれやれといった感じで星奈が話していると、翔がニヤリとほくそ笑んだ。 「不自然なほど深く刺さった針……このブローチ、オカルトの香りがしますな」  また始まった、と星奈が呆れる一方で、蘭子先輩は食いつく。 「オカルトですと? どう見ても生後一年未満のイミテーションジュエリーだけど?」 「製造または輸送の段階で不幸が起こって、その時の怨念がこもったとか」 「あー、それはありそうだね」  盛り上がっている最中、誠美はなんとなく気配を感じて振り向いた。  掃除用具を持った鎮神が、姿見の前で立ち止まり、苦い顔をして鏡と睨み合っていた。
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