序章 血の呼び声

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 ホームルームが始まるまで、翔はオカルト雑誌を読んで過ごす。  昨夜電話で聞いた通り、鎮神は来ていない。  彼はなぜ急に二ツ河島のことなど言い出したのだろう ――理由くらい訊いときゃ良かった、と翔は思っていた。  鎮神の方からオカルト話を振ってくるなんて初めてだし、 しかも二ツ河島なんてニッチな都市伝説を、そうと知らずに話題に出すなど、滅多にあることではない。  ページを繰る手が止まっていると、星奈が教室に入って来た。 「よお、昨日鎮神から電話あった?」  早速、星奈が話しかけて来る。  「ああ、休むってことなら聞いた」 「あいつ、変な話ししなかったか?   二ツ河島とか何とか」 「星奈にも訊いてたのか」 「だから、ルッコラの産地だって教えてあげたんだが」 「ルッコラ……ん、それだけ?」 「それだけ、とは何だ」 「いや、二ツ河島って都市伝説の舞台なんだよ。  古い独自の宗教を守り続ける排他的な孤島っていう……」  翔が星奈に二ツ河島の都市伝説の話をすると、星奈もやはり怪訝な顔をした。  二人とも口には出さなかったが、都市伝説だと茶化していた存在がその枠を超えて、 日常へ浸食してきているような予感に包まれていた。 「あの時、鎮神は『家の用事らしくて』って言ってた。  らしい、って変じゃないか」 「おれにも、『家の用事なんだってさ』って他人事みたいに言ってた……」  考えれば考える程、異常であった。  翔は一つ、提案をする。 「二限目さ、PC室で授業だったよな。インターネットで島のこと調べないか」    オカルトブームの過ぎた今、遠方の都市伝説が伝播してくる過程には、OSのヒット以降普及しつつあるインターネットの役割が大きい。  二ツ河島の噂も、その一つであった。  そして予定通り、二限目は教師の目を盗んで授業と関係ないページを開き、二ツ河島のことを調べ続けた。  生贄の儀式、政界との繋がりなど、根拠が乏しくて目新しくもない、 さらに一介の高校生とは無縁そうな文字列が続く。  翔が疲労に耐えかねて首を回していると、星奈が肩を突いてきた。  星奈の方のパソコンに表示されていたのは、 画家のアトリエらしき風景写真がトップに貼られた簡素なホームページだった。 「マドカ画廊……画家個人のホームページらしい。  若くて駆け出し、展覧会で絵が何枚か売れた上に、文芸誌の挿絵も手掛けてる。  十九歳か。立派だな」 「それと二ツ河島、何の関係が……」  翔が言うと、星奈はある一文にカーソルを合わせて示す。  連絡先として、画家の住所が載っており、そこに二ツ河村という文字列があった。 「住人の、ホムペ……」 仕事の紹介だけではなく、個人的な日記もアップされている。  日記の最新記事は一昨日のものだった。 『私の住む島には最近、白銀の吉兆がありました。(ゆる)しと救いの日は近いのかな』  その一文は、感受性豊かな若き芸術家の戯言なのか、それとも――。  白銀という単語にどうしても鎮神の髪を重ねてしまい、二人は顔を見合わせる。 「……昼休み、鎮神の家まで行ってみないか?   様子を見に行くだけなら、三十分あれば余裕で往復できるだろう」  星奈に言われ、翔は頷いた。  そうと決めてからの授業は、時間の過ぎるのが遅く感じて、 腹をじりじりと炙られているような焦燥に駆られた。  昼休みを告げるチャイムが鳴るなり二人は裏庭へと走る。  裏庭は百葉箱があるくらいで、ここに用のある者はまず居ない。  そして裏庭のフェンスが一部破れているというのは少しやんちゃな生徒なら知っていた。  昼間から学生が街をうろついているのは考査期間でもない限り有り得ない。  早引けならそれを証明する用紙を学校から渡されるものだが、そんなものを調達出来るはずも無く、補導されれば一発アウトだ。  なので演劇部の部室から拝借した衣装で、ごくカジュアルな私服らしい姿になってからフェンスの穴をくぐり公道へ出て、駅へ走った。  三人して畔連町で遊んだ時に、鎮神の家は把握している。  迷わず切符を買い、電車に乗った。  目的の駅に着くなり走り出して、擦れ違う人々に不審な目を向けられながら、アパートへと向かう。    もう少しというところで、バンボディの中型トラックと、ナンバーがラッキーセブンの黒い自動車が二人と擦れ違い、すぐに見えなくなった。  後部座席にフィルムを貼ったその二台は共に、二ツ河島がある地域のナンバーを付けていた。  二人はしばし呆然と立ち止まっていたが、再び走り出し、諏訪部家のドアにかじりつく。  こじ開けたりする必要もなく、ドアは半開きの状態で、少し引くと空の胎内をまざまざと見せつけてきた。  鎮神がここに居た証は、諏訪部の表札しか見当たらない。  家具も小物も、人も、一切が消えていた。 「学校と警察に言った方が……」 「駄目だ、もしかしたら夜逃げみたいなものかもしれない。  鎮神の家があまり裕福じゃないのは知ってるだろ。  私たちの推測が外れてた場合、鎮神に迷惑がかかる」  言いながら星奈は、部屋の隅に落ちていた一枚の紙を拾う。 「二ツ河島、鷲本、宮守、黒777、一時」と書かれたチラシの裏。 「ただ、情報収集は続ける。 あと二ツ河島へ行く準備もしておいた方がいいかもな」  星奈は(まなじり)を決して、はるか遠くの見えない島を睨めつけているようだった。    アパートを後にして、二人はのろのろと来た道を戻る。  白銀の吉兆、赦し、救い――。  画家の日記に書かれていたその謎めいた言葉が、鎮神の失踪にどれだけ関係があるかは分からない。  なのに、人智を超越した何かが鎮神を攫ってしまったような気がして、 そしてその一端に触れた自分たちもそれに呑まれていくようで、無性に恐ろしかった。  これはオカルト好きな自分の妄想ではなく、星奈も同じ気分を味わっているはずだ。  電車に乗ると星奈は、吊り広告を見上げながら一息吐いた。  しかし翔が隣に座ったきり、浅く腰かけた変な体勢のまま微動だにしないので、気になってその目線を辿ってみると、斜向かいのシートへと行き着いた。  人形と見紛うような美しい人が座っていた。  白く体温を感じさせない細面、青黒いアイメイクと唇は作り物じみた印象を強めている。  周りの景色を反射するのではないかという程に黒く艶のある長髪、猫を思わせる上がり目。  服は白いニットのミニワンピースに、うっすらと模様がプリントされた黒いタイツ、黒エナメルのキンキーブーツ。  洒落た格好と、足元にある機能的なキャリーバッグが妙にミスマッチだ。  薄い掌は、耽美派の詩集の文庫本を支えている。  そして何より、文字を追っている蘇芳(すおう)色の瞳が印象的だった。 「……綺麗な人だな」  星奈が本心から、そうぼそりと呟くと、翔はハッと振り向いて苦笑した。 「何のこと?」 「とぼけなくていいぞ。  あのニットワンピの人だろ。  あれが翔の男の趣味か?   確かに凄い美形だけど、一緒に生活することを想定すると、私はもっと卑近な人がいいかな」 「ヒキン……いや、待て、男の趣味? 男?」  翔は狼狽(うろた)える。  星奈も一瞬、翔がなぜそうなったか分からず顔を(しか)めたが、すぐ察した。 「あの人のこと女だと思ってたのか」 「そ、そうだよ……。  いや、別にツラに見惚れてたわけじゃなくてさ……」  こちらが噂していることなど聞こえていないのか、それとも美人は噂され慣れているというわけか、彼は詩集から顔を上げない。  翔はさらに声を潜めて言った。 「おれらが乗り込む時に、諏訪部鎮神がどうこうってあの人が呟いた気がしたんだ……でもたぶん気のせいだよな……」  彼は、二人が学校の最寄り駅で下車しても若草色のシートから腰をあげなかった。  翔と星奈は早足で学校に向かい、電車は彼を乗せたまま動き出した。
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