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「太田早苗か。困ったちゃんらしいよ、秘書課では」  昼休み、ホールで食堂行きのエレベーターを待ちながら、桐生愛が言った。「コピーをさせたら真っすぐになっていなくて注意したら、次からは分度器でチェックして完全に直角が出るまで、やり直すもんだから、他の人がコピー機使えなくなるし。客に出したお茶が『濃すぎる』って注意したら、毎回茶さじ何杯分ですか、って聞くんだって」  エレベータホールは、いつきたち同様に食堂行きのエレベーターを待つ社員で混雑していた。食堂はビルの八階にある。お昼時間はいつもエレベーター待ちをしなくてはならない。  いつきは、空腹を堪えながら、聞き返した。 「そんなの、丁寧に教えてくれれば、いいじゃん。秘書課って冷たいんじゃないの?」 「そう言ったって、フツーは目分量とか先輩のやっているのを見ていればわかるようなところじゃない。何度も何度も訊かれても、さすがに先輩たちの忍耐力にも限度があるよ。暇じゃない」  いつきは、何か釈然としなかった。自己正当化っぽい感じ。いつきは、それをイジメの匂いと呼んでいた。イジメのあるところには、自己を正当化する言葉が現れる。その匂いに、いつきは馴染みがあった。  いつきを目を閉じた。かすかに胸が痛む。 「ボク、太田早苗と話してみたいな」 「ふうーん」  桐生愛の、含みのある相づちに、いつきはカチンときた。 「何だよ」 「あんた、お人よしだな、と思って」 「バカにしてるよね」 「いや」  愛は微笑んだ。 「見直した」  珍しく、素直にプラス評価な、愛の言葉に、いつきは動揺した。こんなところが、普段は毒舌ばかりでも、愛を憎めないところだ。 「でも、エレベーター来ないね。こんなに混雑するなら、エレベーターを増やすとか、お昼休みの時間を二つにして、部署でどちらかに決めたら」  照れ隠しのため、思いついたことを、ぱっと喋っただけだったが、結構いいアイデアかも知れない、といつきは思った。提案書に書いて出してみようかな、と口を開こうとした瞬間、エレベーターが到着して、ホールの他の社員と共に、エレベーターの箱の中に押しこまれた。愛の声が飛ぶ。 「いつき、八階のボタン押して。九階は役員専用階だから、間違えたらダメだよ」
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