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錨を上げないで
気がついた時には、ぐるぐる巻きに縛られていた。
叫ぼうとしたが、猿ぐつわも固く巻かれている。
ディーゼル臭と骨に響くような重低音、それとものすごい熱気の中に、彼は転がされていた。
と、目の前に黒くなったデッキシューズと、重そうなブーツの先が現れた。
「気づいたようですよ、ボス」
デッキシューズの方がそう言って、よく見ようと顔をのぞきこんでいる。
ボスと呼ばれた方も、彼をのぞきこんだ。
「よかった」
素直に喜んでくれたのかと思ったら
「売り物にならなければ、どうしようかと思った」
だと。その声で椎名さん、すっかり正気にもどる。
「応募者は、集まったのか?」
「東京からは35人、横浜から30人……コイツを入れれば31人ですね」
彼らの話をつなぎ合わせると、どうも、近辺のホームレスの方々や生活に困窮されている方々にお声をかけ、海外の労働に従事させるべく貨物船の底に隠して運んでいくらしいのですが。
いやいや、ワタクシは特に生活には困っておりませんので。
と、言いたいが誰も聞いてくれそうもない。
「なぜコイツだけ縛られているんですか?」
そうそう、そこを聞いてください。椎名さんは目で訴える。
「テラモトさんに抵抗したらしい」ふう、とボスは息を吐いた。「勇敢なヤツだ」
「単に、向こう見ずなのかもしれませんよ、ボス」ははは、と二人で笑っている。
単に、運が悪かっただけなのです。そこも、この二人に切々と訴えたかった。
コショーを買ってくるだけのつもりだったのに、どうも、コショーの原産地まで連れて行ってくれるらしい。
椎名さん、あきらめて目をつぶった。
こういう時は、体力温存。
それにこう言っているのも聞こえたし。
「コイツはね、あまり暴れたら海に捨てていいってさ。まあ……儲けは減るけど」
「残念ですねえ」そうだ、残念なのだから、大事に扱え。椎名さんは心の中で叫ぶ。
どやどやと、大勢の靴音が響いてきた。さっき聞いた応募者の方々らしい。
「出発まで、ここで待って。口きかないように、あと、タバコも厳禁」
乗組員らしい男が、現場監督のように叫んでいる。
ちらっと顔をあげてみると、どの顔も、あきらめの境地とかすかな希望の間くらいでゆらめくロウソクの炎のようだった。ゆらゆらと、頼りなげで、明るくない。
せめて口がきければなあ、と、椎名さんはまた、固く目をつぶった。
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