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同情するなら金をくれ
どのくらい時間がたったのか、少しうとうとしていたかも知れなかった。
もう出港してしまっただろうか。
急に、何か違う物音が聴こえ、彼ははっと身をおこした。
「動くな」
急に、冷たい風がごおっと押し寄せる。どすどすと別の足音が響いた。
踏みこんできた黒ずくめの男たちをみて、椎名さんはぎょっとなった。
MIROCだ。すぐに判った。
なんでこんな所に? しかも、二、三、確かに見覚えのある顔が。
乗組員たちは突然のことに、大勢の派遣希望者と同じくらいぽかんとしている。
特務チームの連中は銃を構え(武力行使はできないので、もちろん殺傷能力はない、バレないうちにとさりげなく急いでいる)、片っ端からきびきびと乗組員を捕縛し始めた。
「派遣のみなさん、こちらに並んでください」
若い一人が、船底に集まっていたオヤジたちに指示を出した。
「お手当が出ますので、一列に並んでください」
手には、集金の人みたいな黒いカバンを下げている。
それが言葉よりも効力を発したらしく、オヤジたちはわらわらと鉄の階段を上がってくる。
「押さないで、ゆっくり上がってきてください、みなさんの分はありますから」
一段上で、お手当の支給が始まってほどなく、こちらに二人の特務員が近づいてきた。
一人は、完全に見覚えのある顔だ。
ガタイのいい男が、もう一人若いのに指示しながら一緒に、こちらに近づいてくる。
間違いない、本部特務課リーダーのグラスホッパーだ。以前の仕事で何度か一緒に組んだことがあった。しかも二度ばかり飲みに行った先で一緒に酔いつぶれたことも。若いのはその部下だろう。
グラスホッパーが彼に声をかけた。
「だいじょうぶですか? って、あれっ? サン」
椎名さんは、必死で目配せを送る(バカ、黙れ)相手はすぐ合図に気づいた。
「サン……かっけいの面積って、どう出すんだっけ」
部下はびっくりしたがそれでも
「底辺×高さ÷2、いきなりどうしたんスか?」
「いやいやいやいや」
グラスホッパーは、かなりあわてている。
若い部下はそんな上司に首をひねりつつも、手際良く彼の縄をほどいて、猿ぐつわを外してくれた。
「オジサン、もうだいじょうぶだからね」
親しげに肩をはたいてくれる。
「ひどい目にあったね、気の毒に。どうしてオジサンだけ縛られてたんだろう?」
リーダーが椎名さんの腕をとってその部下に言う。
「リンクス、オレが連れてくから先に報告に行け」
つかの間、人払いができたせつな彼が小声で聞いてきた。
「何してたの? 今日休みって聞いたような?」
「カイモノの途中でつかまったんだ」
相手は、何かの任務だと思ったらしく、深刻な顔をしながら
「偶然だけど……よかったなあ、でも、誰からの命令で動いてたんだ?」
と聞くので
「うちのカアチャン」
と、答えた。グラスホッパーはきょとんとしている。
「それよか、」
椎名さん、彼に引率される間もうつむきながらささやく。
「ケインとラスコーがいるだろ、あいつらにも口止めしてくれ」
「わかった」
あの二人も飲みに行った時のメンバーだった。
リーダー、二人を大声で呼ぶ。
その間に椎名さんは自分の尻ポケットをさぐってみた。
やはり財布を落としてきたようだ。金も全部あの中だし、いつもはできるだけ私物を持ち歩かないのに、今日に限ってレンタルビデオ屋の会員証も入れていた。
姉御の部屋に落ちたままだとマズイ。
脇のリーダーにもう一つ頼みごとをする。
「ついでに、タクシー代貸してくんないか」
「ちょっと待てよ」
そばに走ってきた二人に、何か小声で説明している。ちょうど暗がりに立っていたので、彼らはリーダーから話を聞いて急に
「うえっ?」「マジ?」
とこちらをのぞこうとした。
「バカ、見るな」
彼らのリーダーは怒って二人を押し返す。
「それよか、ケイン、金持ってるか」ふり向いて聞く。「いくら?」
「ここがどこだか判らんが…横浜のあざみ野まで行きたい」
「ケイン、一万円……いやもう千円出せ」
えええ? と哀しげな声をあげて、それでもケイン、装備の間から札入れを出す。
「一万一千円ね、はい、オジサン」
わざと、『オジサン』を強調して、ケインは彼の手に札を握らせた。小声で
「あとでちゃんと返してくださいね」
と言うので、卑屈な声で
「ありがとうごぜえます」
と頭を下げる。
ちょうど報告を終えたリンクスが戻ってきた。親しげに彼に声をかける。
「おじさん、すぐ帰っていいってさ。よかったね」
それから心配そうな顔でこう訊ねた。
「ところでおじさんは、どこで寝泊まりしてたの?」
「ハイ……おもに新横浜ですが」
たまたま聴こえてしまったラスコーがぷっと吹き出し、リーダーに思い切りどつかれた。
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