こんなよい月を一人で見て寝る(尾崎放哉)

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その時、 「ガクちゃーん」 外からマキの声がした。 あんまりマキのことを考えていたから幻聴を聞いたのかと思ったが、もちろんそうではなく、 「ガクちゃん、迎えにきたよ」 二階の窓を開けると、もうすっかり雨はあがっていて、乾いた夜風がオレの鼻をくすぐった。 見下ろす道路には、 「ガクちゃん、タロウのサンポだよ」 バカ犬のリードを握ったマキは、逆の手をブンブン振り回してオレに合図をくれる。 そんなにしなくても、オレからマキは十分見える。 そしてそんなマキの隣には、当り前の顔をして、うんこ袋を持ったツトムが立っていた。 これもそれも、ガキの頃とおんなじだ。 多分マキがどう思っていようとも、ツトムがオレに向ける気持ちは変わらないのだろう。 ただオレだけが、変わった。 マキの可愛さに気づいて、オレだけが変わってしまった。 「ガクちゃん、早くー!」 マキがまたオレを呼ぶ。 だけど今は、いつもの顔でふたりの前に立つ自信はない。 もう一度階下を見下ろした。 ここでツトムが少しでもイヤそうな顔を見せてくれれば、オレは嬉々として階段を降りて行くのに。 けれどツトムがオレを見あげる目は変わらなくて、相変わらずあいつは優しくていいヤツで……。 オレは、 『コクン』 今にも出かかった言葉を無理やり飲み下した。 そして、 「行かねーよ、めんどくせぇ」 「ええーっ、昼間約束したじゃない」 「オレは約束なんかしてねーよ。それにオレはヒマじゃねーんだ」 オレはヘリクツを言って、それからツトムに顔を向けると、 「もう暗いから、マキのこと守ってやれよな」 「もちろん!」 びっくりするほど、きっぱりした返事が返ってきた。 オレはもう何も言えず、ピシャンと窓を閉めてしまう。 「えー、ガクちゃん、ひどいー、うそつきー、裏切り者ー」 外でまだマキが文句を言っていたが、かまわず無視していると、そのうち声も聞こえなくなった。 もう一度そっと窓を開けると、そこにやはり、もうふたりの姿はなくて、代わりに鏡のような丸い月がオレを見ていた。 鏡のように、冷たくて寂しい月だった。 だけど、とても綺麗だ。 雨上がりの星もない夜に、ぽっかり浮かんだ月だった。 そんな月を見ながら、オレは眠った。 明日になればきっと、いつも通りの顔が出来るさ。 そう自分に言い聞かせながら。      ――了――
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