青い長靴

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「えーっ、なにこれ」  翌日、学校から帰ろうとすると突然雨が降ってきた。予報では晴れだったので、傘など持ってきていなかった私は困り果てていた。雨が止むまで待とうか、と考えたが、その瞬間弟の青い長靴が脳裏を過る。こんなに雨が降っていたら、長靴を履いているかもしれないと思ったのだ。そう思うといてもたってもいられず、私は雨の中を走りだした。良い姉としてプレゼントすることができた長靴を、本当に履いて喜んでくれているのかを確認したくて、私は打ち付ける雨を気にすることなく進んでいった。ふと、まだ小さいときの弟の笑顔が頭に浮かぶ。あの時みたいな笑顔が私の長靴で見られたら、そう願った。 「ただいま!」  まだ勢いよく降る雨の中、わたしは勢いよく玄関のドアを開けた。玄関には昨日置いてあった長靴がなかった。庭にも家の前にも弟はいなかったが、長靴がない。どこかに長靴を履いて行ったかとも思ったが、弟の外出を両親が許すわけもない。何かおかしいと思ったが、お気に入りの長靴だから部屋に持っていったりしているのかもしれないと考え、私はリビングへと向かった。  リビングのドアを開けようとすると、ぴちゃり、と水を踏む音聞こえた。水がゆっくりと滴る音もする。それ以外の音はせず、なんだか異様な空気を感じた私は、恐る恐るドアを開けた。 「あ、お姉さん。お帰りなさい」 目の前には包丁を握ってにっこりとほほ笑む弟がいた。その手は赤く塗れていて、足には私があげた長靴を履いている。弟の横に目をやると、赤く染まった両親が倒れていた。私は思わずその場で座り込み、嘔吐した。この状況が全く理解できなかった。 「お姉さんからもらった長靴を早く使いたくて……」 弟はそう言うと、もう動かない母親を踏みつけ、包丁で顔や体を刺し始めた。血が鈍い音を立てて弟の顔や辺りに飛び散る。そして弟は血だまりを長靴で嬉しそうに歩き回った。 「……外、今、雨だよ。やめてよ……」 私は声を絞り出した。だが弟は窓を見ると満面の笑みで言った。 「知ってますよ。でも外に行っては駄目だと……言われて。外が雨なのに長靴を使えないことが嫌で、考えたんです。どうすれば家で使えるかなって」  笑い声を上げて弟は血だまりの中をスキップした。何故こうなったのか、いくら考えても答えは出なかった。確かに両親は弟に辛く当たったが、こんなことになるとは思ってもいなかった。あんなに大人しかった弟は、もはや別人のようであった。 「もう……やめてってば!」 笑い声に耐え切れず私が大声で叫ぶと、弟はピタリと足を止める。そしてぴちゃぴちゃと足音を立てて、私の前に立った。 「こういう雨って、夕立っていうんですよね。でも僕は勉強をしなければいけないから、外に出られない。でも、お姉さんから貰った長靴をもっと使いたいから……」  私の顔に赤いものが落ちてきた。近づいてくる弟の瞳には恐怖に震える私の姿が映っていた。 「なに、私は、長靴を、あんたが欲しいって言うから、わた、しは……」 「良いお姉さんでしたよ。僕が青が嫌いなことも、どんなに雨が降っている日でも、ボロボロの靴を履いていたことも知らないみたいでしたけど」 「え……」 「この水遊び、良いアイディアでしょ? 嫌いな青も赤色に変えることができて」  私は良いお姉さんじゃなかったのか、でも私はちゃんと気にかけていたつもりで―― 私がそう言おうとするのがわかったのか、弟は声を荒げた。 「おまえは! 自分のために俺を気にかけるフリをした! 自分がどれだけ良い人かってことだけを考えて!」 「ちが……そんなこと、ない、ないの」 今まで見たことのない弟の顔に、思わず言葉が詰まる。 「……でも、綺麗な長靴をくれたおかげで、雨の日も水がしみる心配もない……ありがとうございます」 弟は表情を一転させて、私に笑いかけた。この笑顔ほど怖いものを、私は見たことがなかった。 「わ、私は、本当に、良い姉に、なろうって……! なのに、こんなこと……!」 私が睨みつけてそう言うと、弟は急に無表情になった。 「ああ……。そろそろ、また水遊びしたいので……。良いお姉さんなら、協力してくださいね」  その瞬間、私の首から血が噴き出した。なんで、どうして、そう叫びたかったが、もう何も言うこともできないまま、私の視界は赤と黒で染まっていく。 「夕立の後の空って、綺麗なんですよね……」 最後に聞こえた弟の声は、気味が悪いくらい穏やかだった。
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