八月十三日の夕立

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 もう何年も前にしまっている商店の軒先を借りて、私は水を吸ったスカートを片手で絞る。濡れた脚がつめたい。  こんな突然の雨は久しぶりだった。夏の雨のむっとする匂いと熱気が軒先にも溢れかえる。もう遠い昔、忘れたと思っている記憶の匂いが一緒に立ちのぼってくるような雨だ。夏の雨は苦手だった。あの日も雨が降っていた。病室は雨の音だけが響いていて、窓の外は灰色で、この外にはもう何もないと思った。  歩いて十分ほどのスーパーを出るときには、どこからかやってきた分厚い雲が灰色になって空を覆っていた。いそいだものの家まであと三分の一、というところで間に合わず、こうして屋根を借りている。 「あーあ」  長く降り続けることはなさそうだけれど、すぐには止まないようだ。エコバッグからアイスを取り出した。桃のアイスキャンディーだ。一個だけ、夜に食べようと思って買った新商品だ。もうここで食べよう。袋を破る。 「一口ちょうだい」  振り返ると、子供が立っていた。黒い短い髪をしていて、男の子なのか女の子なのかもわからない。誰かに似た顔をしている。ぽかんとしているうちに、その子は私の手からアイスを一口食べた。 「あまーい」  冷たさと甘さにびっくりしたような、でも嬉しそうな顔をする。とても可愛い。 「どこから来たの?」  声が震えた。子供はにこにこ笑って、 「もう一口ちょうだい」  と言った。私はアイスを差し出した。子供はもう一口齧ると、 「あまーい」  ともう一度、可愛い可愛い、涙が出るほど可愛い顔をした。 「全部食べてもいいよ」  ううん、と子供は首を振る。さらさらとした髪が揺れる。ああ、と思う。彼は、私が若いころを共にした人は、こんな髪をしていた。あれからずっと、思い出すこともなかったことを、まだ覚えていた。 「もう行くからいい」  子供はあっさりとそう言った。 「ありがとう。おいしかった!」  あ、と思っているうちに、子供の姿は消えていた。手には、半端に食べられたアイスキャンデー。私の歯型ではない、と、言いたかったけれど、熱気が歯形の輪郭をあいまいにして、もうわからない。  サンダルの足が濡れる。アスファルトを跳ねた雨。溶けたアイスのべたつく滴。それから。食いしばった歯の奥で、喉が変な音を立てた。  雨はまだやまない。雨がやむぐらいまでは、名前もつけずに、やってきてくれたことを喜んでいるのかさえ決めかねているうちに失ったあの子のことを、考えていてもいいだろうか。  食べかけのアイスを手に持って、私はしばらく、雨にまぎれて泣いていた。
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