3 元婚約者の図々しい理屈

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3 元婚約者の図々しい理屈

 婚約者を失い、ひとときは家族であった人たちとも別れ、数年ぶりに父との静かな暮らしに戻った。使用人は信頼のおける人たちばかり。愛すべき、平和な暮らしだ。  私は街のはずれの、教会の敷地内に建つ孤児院へ向かった。  婚約前の私は、礼拝のあと子供たちと過ごすのが生き甲斐だった。  人は変わる。  ふしぎな事ではない。  けれど、あるべき形に戻す事もできる。  そうして私は、週の半分を教会への奉仕にあてた。  ある日の帰り道。   「ラモーナ!」 「!?」  馬車に乗りかけた私は、驚きで足を踏み外しかけた。  血相を変えた元婚約者ジェフリー卿が、私の肩を掴んだのだ。  一瞬、かなり怯えた。  そのために、私はしっかりと彼を仰ぎ、見つめた。 「いったいこれは、どういう事だい!?」  御者が慌てて下りてきたので、それを手振りで止める。今、ジェフリー卿は気が立っている。そこへ使用人の立場でありながら割って入れば、それが火種になる。私は当主の娘として、使用人を守る義務があるのだ。 「どう、とは?」 「なぜ持参金が出ないんだよ!!」  結婚を急いだ彼は、諸々の手順を飛ばしている。  持参金は追々……とでも考えていたのかもしれない。関係ないけれど。  私はゆるやかに彼の手を払った。 「パンジーはお父様の実子ではないと、あなたも知ってるでしょう?」 「養父だろう!?」 「新しい妻の連れ子だから、娘同様に接していました」 「それなら持参金も持たせるべきだろう!」 「実子でも養子でもない少女に?」 「当然だ! 僕は君と婚約していたんだ。君と同等の条件を果たすべきだ!」 「破棄したのはあなたです」  ジェフリー卿が目を剥いた。 「伯爵令嬢ではなく、私生児をお選びになりましたよね?」 「君の妹だ!」 「父は離婚しました」 「え?」  一瞬、押し黙る。 「もうローガン伯爵家は、と関係ありません」 「……」  ジェフリー卿の瞳に理性の片鱗が走る。  自分が的外れな要求をしている事に、気づきつつあるように見えた。 「では……僕は、持参金もない、ほぼ平民の女を妻にしたのか……!?」 「はい。私よりその子がいいと仰いました」 「ああ……!」  頭を抱えている。  同じ領主として、父とは比べ物にならないほどジェフリー卿は愚かだ。絶縁できるこの機会はむしろ、神様の贈り物だったのかもしれないとさえ思えた。 「父が忙しいので、私をあてにしていらっしゃったのですか?」 「……」 「無駄足でしたね。お帰り、お気をつけて」  私は微笑んでいた。それから丁寧にお辞儀をして、姿勢を戻す。  彼は再び気色ばんだ顔に戻り、私を指差して叫んだ。 「なんて無礼者なんだ! 君たち親子は破滅だ!!」 「教会で騒がないでください」 「賠償金を請求する!!」 「さようなら」  それまで身振り手振りで合図を送ってくれていた御者のおかげで、教会から続々と人が出てきた。 「……!」  さすがのジェフリー卿も分が悪いと判断したのだろう。  曖昧な捨て台詞を零して馬車に飛び乗り、慌ただしく走り去ってしまった。    呆気ない。 「さようなら、ジェフリー卿」  声に出すと、気持ちがすっきりした。  終わったのだ。
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