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声は言う。
さあ、さあ、さあ、さあ。
さざ波のように声が急かした。
そして、扉を開ける。
彼がいた。
彼は以前のように血色の悪い顔を俯き加減にして、白いシャツを着込んで着流しを羽織る。
変わったのは、無精髭と、長い髪を坊主頭にしている事だ。秋野は昨日もここに来た、というような顔をして、道場に入ってきた。
生島は気持ち、後ずさる。
「どうした、生島。俺が来るのがそんなに嫌か」
「そうじゃない。あんたは捕まっている筈だ」
「ああ、そうだなあ」
「であるならば、なぜ」
「言ったろうよ。今日は約束の日だ。俺達は契りを交わした兄弟じゃないか。約定を違える俺ではない」
「俺は兄弟とも思ってはいないし、契りを交わした覚えもない。あんたを思い出すたびに反吐が出る。俺にした仕打ちを忘れたか。玉枝に犯した罪が消えると思ったのか。いいか、今日俺がお前を待っていたのは、もしもの事があってはならんからだ。二度と娑婆の土を踏ません為だ」
「ほう…そうかい。……少し見ない間にいい面をするようになった」
秋野がにやりと笑った。どことなく、顔が青白い。
「おい、話をしようじゃないか。少しだけさ。少なくとも朝が来る前までだ。何故なら俺は、今日ここに来るために」
首を括ったのだからな。そう言うと彼は白いシャツの襟元をくつろげる。
赤い、蛇が巻きついたような跡が見えた。
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