悪説・菊花の契り

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生島と秋野は同郷の生まれであった。 国は埼玉の片隅だ。秋野は地方の金持ちの息子で、生島は秋野の父の会社の下請けをしている工場の息子だ。秋野の父はおっとりとした性格の男で、身分の隔てなく気持ちよく付き合うので、評判が良かったが、彼は婿養子であったから、そもそも会社の社長とは名ばかりだと言う口の悪いものもいた。秋野の母は今で言うビジネスウーマンのような女だったと、生島は父から聞いたことがあるから、そういう噂こそ真実であったかもしれない。とにかく秋野の父はよく生島の父の所へやってきて、碁を打ちにきた。 「俺達は同期でね」 二人は声を揃えて言った。なんの。と生島が尋ねれば、戦争のな、と秘密めいた笑みをして笑うのだった。 その頃は戦争が終わって好景気の上り坂であったから、物を作れば売れた。 秋野の父親が生島の父の元へ来るようになってから数年後、息子を連れてきた。生島が高校二年で、秋野は大学1年生。青いセーターにジーパンという出で立ちが初々しく、休日になれば軽井沢あたりでテニスをしているような健全な男に見えた。 「君が智己君かい」 彼らの父親達が生島の父の書斎へ引っ込むと秋野は余所行きの声で笑いかけた。当時から無愛想だった生島がお辞儀だけをして、立ち去ろうとすると、秋野はポケットに手を入れたまま、どこに行くのだと問う。剣道場です。剣道場?君はどこの道場へ通っているのだ。はい、橘先生の所ー。 そうかい、あの先生は僕の叔父でね。娘がいるだろう、可愛い子。玉枝という名の。 まだ幼いがー。 「あの手の顔は大きくなると男好きのするいい女になるに違いないよ。そうは思わないか」 俺は初めての女に手を出すのが好きだ。なんせ何も知らないから。 にやり。好青年の顔が歪んだ。隠れていた悪魔の顔が覗きだす。生島は昔から堅物だった。潔癖な性根が秋野の本性を見抜く。嗚呼、こいつはとんでもない下衆に違いない。関わってはいけない。忌むべき者こそ立ち向かうべきではない。そっ、と顔を背けてやり過ごすことこそ正しいのだ。 だから、そうしたのだ。 だのに、奴は、秋野は。 まとわりついた。
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