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第一話
* * *
真夏の日差しは、年中、薄暗い事務所の中までは届かない。
(背、高ェな、モデル志望かよ)
そんな季節感のない事務所にサングラスをかけた男が、ドアを無作法に開けて入ってきた。男は狭いフロアで高瀬を見つけると、まっすぐに机に向かってきて、カバンから一枚の小さな紙切れを出した。
テレビ局に行けば、こんな下っ端AD山ほどいるって格好だ。
その辺のコンビニで買ったような白シャツと履き潰したデニムパンツ。デザインとして穴が空いているわけじゃなくて、おそらく本当に、履き潰して穴を開けている。服の適当さに反して、靴だけはなぜか良いものを履いていて、ハイカットの無骨なデザインのトレッキングシューズだった。
髪は最近美容院に行っていないのか、襟足部分を机の上に転がっていそうなゴムで括っていた。それが、本人のファッションセンスやこだわりでないことは一目で分かった。間違いなく、首が暑いからだ。
高瀬は、訪問者の姿を上から下まで観察して、良いモノを持っているのに、もったいないと思った。磨けば絶対に光る素材だ。
目の前の人間を分析して、商品として、売れるか売れないかで考えてしまうのは、高瀬の職業病だった。
「あー、ごめん。うち、若い女の子と、AV女優しか募集してないから、男性モデルは、取ってな……」
「これ『SNNファイブ』のミカちゃんだよね」
高瀬の勤め先である芸能事務所に入ってきた男は、モデル志望なんかではなく、仕事の敵だった。よくよく観察すれば、肩にかけているカバンは、カメラマンがよく使っている機材バッグ。初見で、ADのようだと感じた自分の観察眼はある意味正しかったらしい。
都内の雑居ビルの二階にある弱小芸能事務所で、高瀬は、型番の古いパソコンを前に自分が担当しているアイドルグループのスケジュールを作っているところだった。狭い事務所内は現在留守番の高瀬だけで、少ない従業員は全員出払っている。
つまり、目の前の面倒ごとは、高瀬が自分でなんとかしなければいけない。
「どういった、ご用件でしょうか」
「分かってるくせに。まぁ、ミカちゃん売れてないしね。わざわざ写真撮って持ってきても、おたくも金出したりするつもりないんだろうし」
「えー。なら、なんで来たんだよ。雑誌の記者って暇なのか?」
それは非難ではなく、高瀬の純粋な疑問だった。人の不幸で飯を食っている人間に対する嫌悪感はあっても、仕事柄顔には出さないようにしている。
「仕事の大きい小さいに文句がいえる立場じゃないんだよね。ちなみに、記者じゃなくて会社に飼われてる情報屋。記事は書いてない」
「わざわざご苦労様だなぁ」
「そ、ご苦労様なの、暑い中歩いてきたんだし、お茶くらい出してよ」
「事務所の前に自販機あるからセルフサービス」
「……愛想ないなぁ、スポーツ少年みたいな前髪して」
「ヤクザの子分みたいだって事務員からは不評だよ」
高瀬は、昔から美容室が苦手で、行く回数を減らすためと、最近思いっきり前髪をざっくりやってしまい今の髪型を後悔していた。
自分では学生の頃の自分みたいだと思っていたが、短い前髪にリムレスメガネが、社長と並ぶとインテリヤクザにみえるらしく、事務員からは「あら、ついに社長の舎弟になったの?」と笑われた。
面倒な話ならヤクザみたいな顔をしている社長がいる時にしてくれればよかったのにと小さく息を吐く。
「で、いま社長さんはいる?」
「あいにく、出先だよ」
詳細を説明されなくても、見せられた写真から、男の来社意図は分かった。弊社の商品である女の子が男と手を繋いで、制服デートしているスキャンダル写真。自分の担当している商品だから、高瀬にも責任はあるのだろうが、プライベートまで面倒見られるかよと社員としての自分は思う。
ただ同時にかわいそうだとも感じた。仕事をしていても、まだ十代で子供だから。せっかくアイドルの夢を抱いてここへ来たのだ。一回の過ちくらいは、周りの大人が助けるべきだと思う。そんな人としての感情は、高瀬の中にもまだ残っていた。
もちろん言うまでもなく、それが無理だと高瀬は経験則で分かっている。
高瀬が働いている会社は、大手の芸能事務所ではない。地下アイドルに毛が生えた程度のアイドルグループが、一番の稼ぎ頭の小さな事務所。
社長がお金をかけて、フォローなんてする訳がない。
それは、高瀬自身も、普段から伝えていたし指導してきた。何かあったら、後が無い。もっと輝きたかったら、このグループを踏み台にして、チャンスを掴み次の大舞台に行けよ、と。
アイドルになりたい女の子なら掃いて捨てるほど世の中にいるのだから、やる気がないなら、即、契約解除が会社の方針だった。
高瀬は、机の上に置かれた写真を手に取った。
写真に映る男と手を繋いで歩く『ミカちゃん』は、自分がいつも見ていて知っている姿じゃなかった。まるで別人。誰にも引けを取らない可愛い女の子。
お世辞なんかじゃなく、他メンバーよりもキラキラとして、センターを張れるくらいのアイドルとして写っていた。現状は人気最下位で、落ち目だとネットには書かれている。引退候補一位。
高瀬は、こんなに綺麗に撮ってもらえて、これが週刊誌に載って、アイドル人生が終わるなら、納得できるんじゃないかなんて、人でなしなことを少しだけ考えてしまった。
たかがスキャンダル写真。
なのに、その一枚は異彩を放っていた。写真に惹かれて、触れたいとまで思ったのは、久しぶりの感覚だった。
「うちの宣材写真なんかよりも、よく撮れてるよ。あんた腕が良いんだな」
「あのなぁ、パパラッチ写真なんて褒めてどうすんだよ。わざわざ足運んで来ても一円ももらえない。写真としての価値ゼロだぜ?」
「わざわざ来てもらって、お金の件は、申し訳ないけど。その子がダメなら、次の子が何十人何百人と後ろにいるんだ。上がっていくのは難しいけど、落ちるのは簡単で一瞬」
そして、この会社に関しては、アイドルが落ちていく先まで用意している。ミカは、この先どうするんだろうか。
「――ま、どこの世界もそんなもんだよ」
高瀬とそれほど年が変わらないように見える男は、そう言って息を吐くようにして笑った。自分の手で夢を壊す相手なのに、その行く末にはさして興味もないらしい。
そんな人の不幸を飯の種にしている男に嫌悪感を抱くのに、なぜか撮られた写真だけは、素晴らしいと賞賛を送りたくなった。
「にしても、上手い人間は、ほんと……何を撮っても上手いんだろうな。――うん、俺は、好きだよ、お前の……」
自分の口から自然に出てきた「好き」という言葉に、既視感を覚える。写真から、目の前の男に向き直った瞬間、時間が一気に高校生の卒業式の日まで巻き戻った。
茶色のサングラスを外した顔を高瀬は知っていた。
「――あーあ。また、告白されたしよ。高瀬は、誰にでも、そういうこと言うのか?」
「なん、で」
過去、神様だと思った男が再び目の前に現れて、パパラッチなんて自分がこの世で憎むべき存在と思っている人間に変わって目の前にいる事実に、この世の不条理を感じた。
意志の強そうな目は変わっていない。アイラインでも引いているように見えるきつい目元、見ているとその世界に吸い込まれそうになる灰がかった瞳の色。高校生の時に見た神様の面影は、まだ残っていた。
人を、世界を、魅せることの出来る人だと思っていた。
「……羽鳥」
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