絆の季節と雨の道

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「今日は空気がぬるいから傘持ってけー」  じいさんにそう言われて首を傾げる。窓から見上げる空は雲一つない晴天である。おそらく今日も、うんざりするほどに暑くなることが朝の時点で予想できてしまう。いよいよボケてしまったのかと思って聞き流そうとする。 「あーそうね、鳥が低いわ。雨降るからこれ持ってけー」  聞き流そうとした俺に、今度は窓の外をチラ見した母が折り畳み傘を持たせようとしてくる。いいよ、いらねえよ、そこまで言うならしょうがねえから普通に傘持っていくわと、折りたたみではない大型の傘を傘立てから拾う。天気予報は晴れ。降水確率ゼロ%。絶好の洗濯日和となります。最高気温は三十七度を超える真夏日となりますので、熱中症に気を付けましょう。日中はこまめな水分補給を心がけてください。  誰も見ていないテレビを消して、家を出る。登校の道すがらで、クラスメイトに会った。 「あれ」  おはようを言う前に、彼女が俺の手元に視線を落とす。なんだか前も同じようなことがあった気もするが、よく覚えてはいない。 「おはよう」 「おう」  手短かに挨拶を交わす。隣の席に座る彼女とは、今のクラスになってから喋るようになった。きっかけは、今流行っているゲームの話題だ。 「今日、降るなんて予報あったっけ?」  その問いに、肩をすくめてみせて返す。もし本当に降ってくれるのであれば、午後の体育は屋内でということになってくれる。こんなクソ暑い中、外でサッカーをやるなんていうのは自殺行為も甚だしい。室内でも暑いは暑いのではあるが、直射日光を受けずに済むのであればそれに越したことはない。  果たして、本当に雨は降った。しかし下校時間の間際になってからである。  どうせだったら午後まるまる振ってくれればよかったのに、肝心の体育の時間はカンカン照りで、汗だくでクタクタになるまで外を走り回るはめになった。 「ほんとに、雨降ったね……」  下駄箱から出てすぐの校舎の入り口で、クラスメイトが佇んでいる。しまったなーと思う。こんなことなら、母から渡されそうになった折り畳み傘でも鞄に放り込んでおくんだった。 「まあ、にわか雨だろうからすぐにやむとは思うけど……」  それでも二、三時間は足止めを食うだろう。暇を潰すには少々時間が長すぎる。  そこで俺は、意を決した。 「あの、よければ、家まで送る」  傘を広げ、彼女を促す。  * * *  果たして、日本には二十四の季節があることを多くの日本人は忘れている。  春分や秋分といったそれぞれの季節を表す言葉は現代日本においては、いくつかは残りいくつかは忘れ去られた。忘れ去られた中にも、一部のカレンダーにはたまに掲載されることもありごく一部の好事家によって語られるのみとなっている。少なくとも、その全てをソラで言える人に俺は出会ったことはない。  言葉が国によって違うのは「それぞれ大切なものが違うからなのだ」という発想は実に面白いと思う。  二週間おきに変わるらしい空気の違いは俺には分からない。昔の人には分かったのだろう。気温、湿度、虫や鳥の囀り、山肌と空の色、海のざわめき、風のせせらぎ。それらの二週間移動平均を取れば、その微細な異なりは明確に現れる。明確に現れるはずの機微を感じるほどの繊細さを、現代日本人が失ってしまってから久しい。語り継ぐように継承されてきたはずの「人の感じてきたもの」は、語り継がれてしか伝えられなかったからこそ、どこかで途絶えたのだろう。いつしか季節は日本人にとって大切ではなくなってしまった。少なくとも、二十四が四になる程度には。  それは去年の盆の暮れのことである。その時は運よくまとまった休みを取れたため、「久しぶりに墓参りでもしたい」などと適当にこじつけて、実家の田舎へと帰ったのである。たまに押し寄せる、都会から離れたいという欲求が、俺を四角く切り取られた空から遠ざけようとする。昔はあれほど憧れたのに、今はただひたすら空の狭さが窮屈だ。 「あめがふるよ」  お墓参りへの出がけに、息子がポツリとそうつぶやく。えっと思い、なぜそう思うのかを問うたが、そう感じたからとしか返答はなかった。天気予報は晴れ。降水確率ゼロ%。絶好の洗濯日和となります。最高気温は三十七度を超える真夏日となりますので、熱中症に気を付けましょう。日中はこまめな水分補給を心がけてください。  都会では、夕立はめったに降ることがなくなってしまったと言われている。アスファルトで塗り固められてしまった地面は、気候をも変えてしまった。そんな、短い人生の中で果たして遭遇したことがあるのかどうかも怪しい天候を、息子は予言してみせた。  果たして、本当に雨は降った。墓石を、大粒の水滴が叩く。  墓石を前に、かつて俺に傘を持たせた祖父を思い出す。 「今、この時がお前の人生だ」  祖父がそう俺を鼓舞した。 「お前の人生は、まだ始まってなんかいないんだから」  一方で、父はそう俺を励ました。  未成年だった時に言われたこれらの言葉の、どちらが正しいのかなんてわからない。あの時、意を決して妻を傘に促したあの時に紛れもなく俺の人生は在ったのだし、子供ができた今になって父の言葉が理解できるようになったのだとも思う。今、この時を生きなさいという言葉をくれた祖父は、今はもういない。  伝えるもの、伝わるもの、伝えられなくても感じるもの、感じたものに名前があれば、それは伝わり意に落ちる。意に落ちれば、会話の節々で語られることもある。なぜかは分からないけれど、語られなくても伝わるものはどうやらあるらしいと、息子を見て思う。きっと何かが伝わったのだ。直接接したことがあるわけではない誰かが感じたことを、時代を超えて、曽祖父から曽孫へ。  父が運転する帰りの車の中で、父が子供だったの頃の話を聞かせてくれる。その昔、実家の台所にはガスコンロなどはなく、薪で火を起こして料理をしていたのだという。そんな時代もあったのだと妙に納得してしまう。簡単に想像することはできないが、祖父にも子供だった時代はしっかりとあったのであり、そんな祖父にもさらに父や祖父がいて、そんな方々から脈々と、時代は紡がれ渡されてくる。それぞれにそれぞれのいっときがあり、その時を生きて紡ぎ繋げた。  このようなものを、人は絆と呼ぶのだろう。  そのような大きな流れの中に、俺たちはいる。はるか過去から遥かな未来に至るまでの道の途上、さまざまな道が交じり、別れ、途切れ、新しく生まれ出でる。途切れた道のことを思い出すのは難しいけれど、誰かの道にどこかで必ず繋がっている。やがては消えゆく心の在処を、人はどのようにかして、どのような形かで残そうとする。残された想いを再び紡ぐ。消えゆくものは切ないけれど、それはどこか愛おしく響く。  後部座席で息子を膝に乗せ、妻の手を取る。妻のお腹の中には、七ヶ月目になる女の子がいる。新しい道は、確実に紡がれていく。  
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