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「いつも言っておろう! あの者の母国を東夷などと言うてはならぬと!」
東夷。唐のある大陸の王朝に古より伝わる政治思想からくる自国の東に位置する国の呼び名。南は未開の野蛮人の暮らす「南蛮」西は幾度となく侵略をしかけてきた戎族の暮らす「西戎」北は従属しない北方民族の狄族の暮らす「北狄」東は好戦的な民族夷族の暮らす「東夷」唐…… に、限ったことではないが、当時は王朝の東西南北に位置する国を国と認めていなかった。勿論「南蛮」「北狄」「西戎」「東夷」全てが蔑称である。
この思想は王朝内の全ての者に広がっており、凝り固まっていた。
「し、しかしながら! あの男、遣唐使の西京院万象(さいきょういん ばんしょう)は!」と、宦官が孤独姫に言った瞬間、百花繚乱の花々が咲き乱れる植え込みがガサリと揺れた。
そこより現れたのは今宦官が名前を言ったばかりの遣唐使、西京院万象その人であった。
孤独姫は万象の顔を見た瞬間に満面の笑みを見せた。たまに皇帝が戦を終えて宮廷に戻ってきても見せない笑顔である。
「万象! どうしたのだ! いきなりこのようなむさ苦しい庭などに来おってからに!」
むさ苦しいとは言うが、この庭園は世界でも随一の贅を極めて作られしものである。
万象は孤独姫の前で拱手で構え、立膝をついた。宦官と二人で並ぶ形となる。
孤独姫からすれば宦官は邪魔極まりない存在、追い払うことにした。
「これ、妾は万象と話がある。早く出ていかぬか」
「ですが、しかし」
「お主は万象の話をしに来たのであろう? その本人が来た以上はその必要もあるまい、本人から直接聞けばよかろう」
宦官は万象と目配せをした。万象はコクリと頷き「去れ」と言いたげにしっしっと手を軽く振る。
「西京院万象殿、あなたの口から言うべきことではないかと」
「いえいえ、孤独姫様はじめ、多くの女官達には世話になっておりましたので、私の口から直接言わなければと思いまして」
「フン、好戦的な東夷の割には礼儀を弁えておるようだな」
万象はそれを聞いて冷笑混じりに返す。
「ふふふ、民の栄華のためと東奔西走と戦に駆け回るお方に言う度胸もないのに口だけは達者ですな」
「な、何を! 今すぐに皇帝陛下に報告の方を! すなれば貴様はすぐに死刑に!」
いいから早く去れ! そう言いたげに孤独姫は閉じた扇子で宦官の頬を一叩きし、よろめかせた。その表情は歪んだ修羅のものであった。
「去ね! でないと『壺』か『豚』にするぞ!」
「壺」にも「豚」にもなりたくない。宦官は尻尾を巻いて庭園を後にした。すごすごと庭園から去る宦官は、歩きながらも時折後ろを向き、睨みつけ二人に対する恨みを顕わにするのであった。
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