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「……」
万象は何も言わず、遠い目をしながら遥か遠くの東の空を眺めた。孤独姫はその寂しい心を埋めてやりたいし、埋められるのは自分だけだと信じていた。
「それで、どうするつもりなのだ? お主は優秀だ。聞くに『陰陽五行』『風水』『天文』『占術』『呪詛』『器械武術』『功夫』…… 妾が聞いておるだけでもこれだけだが、何でも出来ると聞いておる。噂に聞けば『科挙』の模試までをも満点で突破したとか」
万象はふふふと冷笑を見せた。
「ふふふ、所詮は模試で御座います。本物の科挙であればきっと落ちていたでしょう」
と、万象は言うが、その模試は本試験と全く同じものである。
「役人としても科挙圧巻、武人としても國士舞双、全く以て非の打ち所がない! どうだ? この唐の都に骨を埋めぬか? 帰化し、大唐国臣民となるのだ! そして妾の愛人として……」
万象は首を横に振り、スッと立ち上がった。
「せっかくのお話ですが、お断り致します。偶然とは言えやっと自由になれたのです。私は数百年色々なことを学んできたのですが、まだ足りないのです。西の西の西の国にはまだ私の知らない学問や術があると聞きます。それを学ぶ為に西への旅に出るつもりです」
数百年学んできた。今、とんでもないことを聞いたような気がしたが大局的な目でものを見る孤独姫からすれば些末なこと、それを聞くようなことはない。
「な、ならば! 長安の都にそなたの言う学びたいものを全て取り寄せよう! この長安から動かずともにこの世の全てを学ばせてやるぞ! だから妾と共に生きよう!」
「私は…… 親から貰ったこの足で西の国を歩き、親から貰ったこの目で直接見て学びたいのです。もう、西への旅に出ることは決めたことなのです。では、他の女官達や役人達への別れの挨拶や旅支度が御座いますので、失礼をば」
万象は拱手の構えで孤独姫に一礼をした後、庭園から去っていった。
一人となった孤独姫は東屋の中で暴れまわる、茶器を石畳の床に投げ捨て砕き割り、円卓も椅子も蹴り倒され惨めに横倒しになってしまった。
暴れに暴れ回り、疲れて落ち着いたところで孤独姫は石畳の床にペタンと座り込み、膝を突いて泣きじゃくりながら、自分がこの後宮に連れて来られ、皇帝の嫁になるという敷かれた暗闇の王道を往くと宣告され、絶望する中、偶然出会った西京院万象のお陰で暗闇に光が差した頃を思い出していた……
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