入宮、それは絶望の始まり。絶望の中にも光は差していた。

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 この時点で橙蘭には理解不能な領域であった。念じただけで物が手元にやってくるわけがない。(わらべ)向けの巻物のような話ではないか。そもそも、なぜに後ろから斬られたのに生きていると疑問の表情を橙蘭は浮かべていた。 「ああ、式紙と言いまして。私の分身(わけみ)を作ることが出来るのですよ。それを身代わりに」 橙蘭は心の中で思っただけで口にしていない。心の中で思ったことの回答を万象が直接口に出した瞬間、激しい寒気を覚えた。そして、思わず口を開いてしまう。 「そなた、人の心の中が読めるのか?」 「ええ、それが何か?」 人の内心が読めるなぞ神や仙人の所業、薄気味悪い。そう考えた瞬間に、心を読まれたと橙蘭は全身の寒気が益々深まってきた。万象は首を横に振った。 「ふふふ、私は人に何を思われようと気にはしません。ただ、常に読めていると頭の中がワシャワシャと弄られるように鬱陶しいので念じた時にしか読まないように調整はしていますけどね」 「すごい男だ」 「いえいえ、私なぞ大したことはありませぬよ。ささ、これより素晴らしい女官となるための教育の毎日が始まりますよ」 万象は橙蘭の手を引き、女官の宿舎へと連れて行く。その華奢で細い指ながらに橙蘭は逞しさと男らしさを感じ、先の一目惚れがより深まった。 女官の役目は唯一つ。皇帝と子を成し、その血を絶やさないこと。それだけである。 (まつりごと)への参加や他国との外交などの役目をする女官もいるが、それらは宦官や科挙を突破するような官僚が行うこと、女官がするそれはお遊びのようなもの。 皇帝・官僚・兵士が女官に求めるのは「皇帝の子」それのみである。 橙蘭からすれば、皇帝は母国(ははくに)を滅ぼし朝貢国にまで追いやり、父母を殺した不倶戴天の敵、そんな男の子供を産むなぞ身の毛がよだつ程にありえない。 しかし、戦利品として虜の身となってしまった以上はこの運命からは逃れられない。 橙蘭はそんなことを考えているうちに、皇帝の目の前で最後の品定めが行われた。 「そなたは美しいな。これまで何十何百と言う女官を相手にしてきたが、最高だ!」 「お褒めに預かり、光栄で御座います」と、橙蘭。その凛とした口調の裏には激しい殺気が込められていた。 「そなたはこの國士舞双の朕に相応しい絶対佳人の姫君、他の追随を許さぬ! よし、そなたには國士舞双に並び立つ孤独たる姫の名を授けよう!」 こうして、橙蘭は「孤独姫」と名を変え、後宮内にいる三千人の女官のうちの一人となるのであった……
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