王配殿下

1/1
前へ
/1ページ
次へ
あるところに、ちいさな島国がありました。 それは、ひとつの大きな本島といくつかの諸島によって、ひとつの王国を形成していました。 その日、その本島にある王城の謁見の間には、三人の若者が召喚されていました。 彼らの向かいの玉座にはキキ女王が、その両脇には彼女の夫であるロント王配殿下と、ふたりの娘であるカンヤ王太子がならんで座っています。 三人のうちもっとも長身の青年は、名をシフシュといいました。 公爵家の三男で、つい最近大学を卒業したところです。 ブルネットに青い瞳で姿勢がよく、三人のうちではいちばん年嵩でした。 そのとなりに気だるげに立つ青年の名は、ニオノ。 伯爵家の落胤で、若年ながら天才として名高い科学者です。 金髪碧眼のたとえようのない美形でしたが、着なれないお仕着せの正装がどこか野暮ったい印象でした。 三人目はまだいたいけさを感じる風情の少年で、名はリンリといいます。 子爵家の四男で、まだ学生の身です。 艶やかな黒色の前髪は長く、めがねとあわせてその表情を隠していました。 猫背で、ひどく居心地が悪そうです。 「よくきてくれました」 女王はまず三人にねぎらいの言葉をかけました。 さて、そこで女王が語ったことはこうでした。 女王の長子、次期女王である王太子カンヤは、先日十三歳の誕生日をむかえました。 それに際し王室ではもろもろを協議した結果、王太子の夫となる人物、つまり次の王配となる人物をはやめに選んでおくことにしました。 そこで様々な条件を提示して、相手に相応しい人物を本邦の基幹であるスーパーコンピュータに尋ねてみたところ、最終候補に選ばれたのが彼ら三人だというのです。 しかし彼らは三者三様に皆すばらしい若者で、最終的な決め手に欠けたため、王女本人に直接会わせて選ばせようということにしました。 三人は今日そのために集められたのでした。 急に王女の夫にと言われても、三人にはそれほどには動揺した様子はありませんでした。 シフシュは身におぼえのない召喚の理由を聞けて、一応は腑に落ちていました。 ニオノはあからさまにめんどくせえという表情をしましたが、なにも言いません。 リンリは長い前髪とめがねによりその表情は見えませんが、誰にも聞こえないくらいの声で「いや無理でしょ」と思わず呟きましたがそれきりです。 「さて、カンヤ」 と、女王はかたわらの娘を振り返りました。 「おまえの夫にするのは誰がよいと思う?」 その場は緊張感にはりつめました。 王女はぴょいと椅子からおりて、その愛くるしい大きなまなこで三人をじっと見つめます。 女王から受け継いだ見事な赤毛を持つ小柄な王女の青い瞳は、齢十三をを迎えたとは思えないほどいたいけさに澄んでいて、リンリなどは堪えきれずに視線を床に落としました。 首をかしげ、身体全体をひねり、しばらくのあいだ思案した結果、ついに王女は口を開きます。 銀鈴のような声が、こう告げました。 「みんながいい」 *** 女王の私邸の朝。 最初に起き出してくるのはたいていは王配のロントでした。 今日はすでに女王を仕事に送り出して、次に起きてくる子供たちのための食事の準備を手伝っています。 コックの作ってくれた料理を、それぞれの席へと配っていきます。 一家団欒の場には必要最低限の召使いしかおらず、国王一家といえど多くのことを自分でしていました。 そこへ、シフシュが起きてきました。 もう身なりは整っていて、はっきりと目ざめています。 「おはようございます」 「おはよう」 あいさつをすると、ロントはほろりと微笑みました。 女王の夫であり王太子の父親であるロントは、やわらかい栗色の髪にヘーゼルの目、すらりとした中背の青年です。 「陛下はもう?」 「うん。出かけたよ」 「お忙しいですね」 「最近はたまたまね。普段は一緒に朝ごはんする方が多いよ」 シフシュがここで暮すようになって一番戸惑うのは、たぶん彼のことでした。 王配殿下。 公の場で見る彼は柔和で育ちのよい洗練された女王の夫でしたが、私邸での彼の印象はそれよりももっと、とろけるようなものでした。 たとえるならまるで、“きれいなお姉さん”です。 もちろん男性ではありますが、男性的な厳しさにはとぼしく、女性的な穏やかさが勝っています。 私服もゆったりとしたユニセックスで、なお性別のへだたりをゆるやかに感じさせていました。 国の代表として公務に忙しい女王より多くの家事を担っていて、家庭での役割も“お母さん”に近いのです。 彼はシフシュたちにも親切で、最初からとてもよくしてくれました。 この生活にすんなりとなじむことが出来たのには、彼のおかげである部分も大きいのは間違いないでしょう。 「おはよー」 と、次にあらわれたのは王女です。 「おはようカンヤ」 「おはようございます」 「お、またシフシュおにいさんに負けた」 カンヤはシフシュの姿に、大きな目をすがめて言いました。 「勝負してたんですか?」 「してないけど。きもちの問題?」 「なるほど?」 「ふふ。早起きだね、シフシュおにいさん」 「一応大人なので」 「ニオノおにいさんは大人だけど寝汚いよ」 「ああ、彼はまあ……」 シフシュが言いよどむと、王女はくすくす笑いながら席に着きます。 用意されていた朝食のたまごをつついて、父親にもうちょっとだから待ちなさいと注意されました。 「おはようです」 その次には、リンリがあらわれます。 彼は朝があまり得意ではなく、起きたばかりはいつもよりさらに肩が落ちています。 全員のあいさつを背中に受けながら、けだるげに席に着きます。 「おはよう……」 そして最後にニオノがあらわれました。 その美しい顔は盛大にしかめられてもなお、妙な迫力をともなうだけでやはり美しいものでした。 彼も早起きはたいそう苦手ですが、それでも朝ごはんの時間にはきちんと起きてきていました。 奔放なようでいて、お行儀のいいところがよくよくあるのです。 女王の家族には他にも王女の下の五歳の双子の姉弟がいましたが、彼らだけはまだ寝ていて、父親がみんなが出かけてから起こして、ごはんを食べさせることになっていました。 なので、これで全員が食卓についたことになります。 いただきますと手を合わせて、食事を始めました。 今日の朝ごはんのデザートには、つい先日献上されたばかりのフルーツゼリーが出されていて、ひそかに王女をわくわくさせていました。 それは、王家に献上されるだけのことはあってとってもおいしいゼリーでした。 しかも、父娘以外の他の三人が食べるのはこれが初めてです。 期待通り、三人もとてもよろこんでくれたことは、王女も充分に満足させました。 朝ごはんを食べ終えると、王女とリンリは学校へ、ニオノは研究室へ出向く前に二度寝しに、シフシュは次期王配としての教育を受けるために出ていきます。 「いってきまーす」 「いってきます……」 「いってきます」 「おやすみー」 「はい、いってらっしゃい」 四人が出て行くと、ロントは一息つきました。 いっきに子供が増えたようなこの生活は、たいへんだけど楽しいものです。 王室の典範には女王の夫の人数の規定は特になかったので、選ばれた三人は本当に三人とも王太子の夫となり、女王ご一家はいまや八人の家族となって暮らしていました。 お昼をすぎたころ。 シフシュが授業から戻ると、ロントはリビングでお仕事中でした。 ぶ厚い本をいくつかとノートをひろげています。 「ただいま戻りました」 「おつかれさま」 「お仕事ですか?」 「うん」 「なにか手伝いますか?」 「いや、手伝ってもらえることはないけど。じゃあ、お茶淹れてくれる?」 「はい」 空になった彼のカップを受け取ると、シフシュはキッチンで自分の分とふたり分お茶を淹れて戻りました。 「ありがとう」 それを受けとったロントは、一口飲んでほうっと息をつきます。 シフシュは彼のとなりに腰をおろしました。 「なんの仕事ですか?」 「詩会の準備だよ」 「うたかい……王配の仕事もたいへんですね……」 「きみもそのうちやるんだよ」 「だからです」 「そう気負う必要もないとは思うけど」 「小学校の授業でくらいしかやったことがないので、不安しかありません」 「ああ。そうか。まあそのうちきみの授業でもやるだろうし、僕らにも先生がついてくれているから、なんとかなるよ。たぶん」 「たぶん、ですか」 「僕はちいさなころからやってたから、あまり参考にならないかと」 「やっぱり王族だからですか?」 「いや、僕はキキのついでにやらされてただけ」 「ついでって」 「キキは将来王になることが決まっていたし、僕よりいろいろ手習いが多くて。でもそのあいだ僕だけ遊んでるのはずるいって言って、いくつかは必要もないのに一緒に習ってたんだよ」 「ああ。なるほど?」 「僕らだってそのときには将来こんなことになるとは思ってなかったけれどね」 「よかったですね、習っておいて」 「結果的にはそうなるね」 「あなたと女王の結婚も、スーパーコンピュータが?」 「いや、僕らのころにはそんなものはなかったから。僕はキキと仲が良くて、年も近いし、従弟だから身元にも問題はないし、言ったとおり王配としての教育が奇しくもほとんどできていたから、まあこれいいんじゃないの?といった感じで」 「そんな雑な」 「今なら選ばれなかったかもしれないね」 ロントはそう言って、ふふ、と笑いました。 シフシュにはそんなことは想像ができません。彼以外が、女王のとなりにいるだなんて。 そしてあの、愛くるしく聡明な王女や元気いっぱいの双子が生まれてこなかったかもしれないなんて。 「そんなことありませんよ」 そんなことは決してあってはいけないことのような気がして、シフシュはそう言いました。 ロントはその意を汲み取ったように、にこりと微笑みました。 そして、握られたシフシュのこぶしにやんわりと手を添えます。 「うん。そうはならなかったね」 「しかし、本とノートとは古風ですね」 「僕には結局これが一番いいかなって思って。機械だと、なんか起動を待ってる間にやる気がなくなったりするから」 「ああ、なんとなくわかる気がします」 「あとこういう本はあまり電子化もしていないし」 「そうなんですね」 「まだまだふるいものもたくさん残っているね」 「その方がよいものもたくさんありますからね」 「そうだね」 「(うた)には、どんなことを詠むんですか?」 「些細なことでいいんだよ。生活している中で気づくような。ただ、できればよいことである方がいいと思う」 「普段の生活の中に、わざわざ詩にするようなできごとなんて、そんなにありますか?」 「変わりないように思える生活の中にも、ちいさな感動は意外とあるものだよ。たぶん」 そこで、ロントはすこし思案しました。 「たとえば僕はこのあいだクラマリを見つけたんだ」 「クラマリ?」 「薄い黄色のちいさな花の咲く、いわゆる雑草なんだけれど」 「雑草なんですか」 「うん。でも、もともとはもっと西の方に多く見られるもので、うちの周りで見たのは初めてなんだよ。だからちょっと感動したんだ」 「へえ」 「でもなにせ雑草だし、初観測ってわけでもないし、僕自身も大騒ぎするほどでもないから、あんまり誰かと共有できる感動でもないんだけど。でもちょっとうれしいでしょ」 「ええ。そうですね」 「そういうことは思ったよりもよくあると思うよ。ほんのすこしだけ、気をつけていたらいいかもね」 「植物、くわしいんですか?」 「ちょっとだけ。専攻だから」 「へえ。知りませんでした」 「そうだね。そういうことはあんまり言わないからね。たまに妙にくわしい人もいるけど」 「妙にくわしい人?」 「王室マニア、みたいな」 「ああ」 「きみは?」 「俺は言われるままに法学部っていうつまらないルートなので」 「ああー。でも法律くわしい方が便利そうだけど」 「役に立ちますか」 「立つんじゃないかな。たぶん」 「たぶん、ですか」 「僕はくわしくないからわからないもの」 「なるほど?」 「曖昧でごめんね。きみと話してると僕ってわりとぼんやりすごしてたんだなって思うときがあるよ」 「いえ、こちらこそ。無遠慮にいろいろ聞いてしまってすみません」 「そんなことないよ。真面目にがんばってくれててうれしいよ。急なことだったのに、ありがとうね」 たしかに、急に王太子の夫になるというのは簡単なことではありませんでした。今も、簡単ではありません。 覚えなければならないことはたくさんあって、新しい人間関係も築かなければなりません。 それでも、彼にそうやって微笑まれると、シフシュにはなにもかもが報われるような気がしました。 「あ──」 「なにかあった?」 「このあいだ携帯電話基地局のそばの電線で、たぶんツルム?みたいなちいさな鳥がかたまって鳴いてたのを見ました。あんなに集まって鳴いてるのとか初めて出会ったので、ちょっと気になったんですけど」 「調べてみようか」 と言ってロントは、携帯デバイスのブラウザを起動しました。検索してみます。 「ツルムの巣立ちの時期みたいだね。巣立ちをしてもしばらくは巣のそばで暮らして遠くへ行ける体力を徐々につけるんだって。きっとそれに出くわしたんだ。たぶんどこかに親もいたんだと思う」 ツルムは冬から春にかけて南方から王国にやってくる渡り鳥です。王国でエサとなる虫の豊富な暖かい時期を過ごし、夏の終わりにはまた南方へ戻っていきます。 きれいな声のかわいい小鳥で、国民にも人気がありました。 「というかきみ、携帯電話の基地局とかわかるんだね」 「ちょっと変わったアンテナがたっているので、それを知っていればわりとわかりますよ。詳しい人ならどこの会社のものかもわかるみたいですし」 「へえ、すごいねえ」 「そういうマニアの人に比べたら、俺がわかると言ってはおこがましいですね」 「でもそういうこまかいことをよく見てるんだからやっぱりしっかりしてるなと思うけど」 ロントがそうしてシフシュをじっと見上げる瞳は、思いのほかがんぜないものでした。 さすがあの王女の父親なだけのことはあるということなのでしょうか。 きれいなひとだと思いました。 その栗色の髪はいつもきらきらしているように感じられます。 「もう休憩にしちゃおうか。みんなにないしょのおやつがあるんだ。ふたりで食べちゃおう」 と言って彼は、キッチンの戸棚のすみからちいさな焼き菓子を出してくれました。 それはシフシュの名前も知らない見たこともなかったようなものでしたが、まるくて、茶色で、外はさくさくしているけれど中はほろほろで、とても美味しいお菓子でした。 ロントは、もらいもので全員分ないから、と言いました。役得だね、と。 「というか、俺しか授業やってないのどうかと思うんですが。リンリなんかは学生なのでもちろん学業優先でしょうが。とはいえ俺が次期王配って感じでもないですし」 「──なんでそう思うの?」 シフシュのなにげない言葉に、ロントは首をかしげました。 そうされるとすこしだけ、責められているようにきもちになってしまいます。 「ふたりに比べたら俺はいかにも凡庸でしょう。彼らの方がどう考えても優秀です」 「うーん、そうか。でも──僕はすこし違う意見かな」 「……そうですか」 「きみは勤勉で見映えがいいし、一番向いてると思ってる。かといってものすごく善人というわけでもないしね。凡庸だなんて、謙遜にもならないよ。きっと多くの人がきみのように生まれたかったと思うだろうに」 「顔はニオノの方がだいぶいいですけど」 「彼は魅力的だねえ。にっこり微笑んだらなんでも通りそうだ」 「実際なんでも通ったそうですよ」 「わあ。ほんとに?」 「でも他に面倒なことが起きるからやめたって言ってました」 「すごいねえ」 「言ってみたいものです」 「ふふ。そうだね」 彼はシフシュをなだめるようにやさしく微笑みました。 「でも彼はあまりに御しがたい。それがいいところでもあると思うけれどね」 「王女とも仲が良いです」 「うん。きみたちが来てから、あの子が楽しそうでうれしいよ。彼だけでなく、リンリくんもきみも、来てくれてよかったと僕らは思っている。僕とキキだけでは大人としても、友人としても、不十分だろうからね。双子もまだちいさくて、思いきり遊べる兄弟もいなかったし」 「あなたはよい父親ですよ」 「うん。だといいな」 *** 「スカイボーーード!」 休日の朝、王女が謎のポーズをキメながら叫びました。 一堂の注目が集まります。 なんのことかといえばつまり、ニオノが制作したスカイボードの試乗に行くということでした。 それでテンションが最高潮なのです。 カンヤとニオノはもちろん、それからリンリも一緒に連れていかれると決定しているようでした。 リンリは外に出るのが苦手なので渋い顔をしていました。それでもふたりには抗いきれなかったようです。 黙々と日焼け止めを塗ったり、王女にも塗ったりしていました。 王女は今日は授業のないシフシュも誘ってくれて、女王はいないけれどロントは休みなので、双子のヨキ/ヲキも連れてほぼ一家総出で出かけることになりました。 シェフにお弁当を作ってもらい、遠足気分で出発します。 といっても行き先は城の敷地内でした。 芝生の生い茂った広場のようなところがあって、試乗会はそこで行うことにしました。 スカイボードはその名のとおり空飛ぶボードです。 楕円形のボードの上には、とってつけたような操縦桿が一本ついています。 見た目は簡素でしたが、それなりにテクノロジーの粋が詰まっているそうです。 王女の見ているアニメに出てくるガジェットで、あれに乗りたいと彼女が言ったのでニオノが本当に作ってしまったのだということでした。 そんなことだから王女は、天才でなんでも作ってくれるニオノをすぐに大好きになりました。 飛ぶ前にまず、乗り込む予定の全員が腰まわりに救命具をつけられました。 基本的には落ちないはずですが、もしボードから落ちてしまって空中で放り出されても、それがゆるやかに着地させてくれるのだということです。 軽く操作方法が説明された後、最初にニオノが乗り込んで手本を見せます。 彼は実に華麗に空を翔けました。 そのかっこよさのあまり、見ていた皆が思わず拍手するほどでした。 それからずっと待ちきれないという顔でいた王女の番。 ツインテールが風になびきます。 ダイナミックな動きで何度か落ちそうになり周囲をひやひやさせたものの、なんやかんやと無事に帰還しました。 見学していた双子がたいそう喜んで、空を翔ける姉を追いかけて走り回っていました。 次はリンリ。怖い怖いと言いながらも卒なくゆっくりとひとまわりして戻ってきました。 シフシュも運動神経は悪くなく、ニオノ以外では一番うまくボードを操り、みんなに意外だと言われました。 シフシュ自身もあまり自分が運動神経がいい方だという自覚がなかったので、新たに自分の才能を発見したきもちです。 ロントが試乗した際には途中で転落して、今日初めて救命具の出番がありました。 みんなはあわてましたが、本人はいたってけろりとしていて、こんな危険なことは久しぶりだと子供みたいに笑いました。 救命具でふわふわと降りてくるさまはどこか優雅で、カンヤが「私もあれやりたい!」と目をきらきらさせていました。 そうしてまだ幼い双子以外は、全員何度かスカイボードに乗せてもらって楽しみました。 双子ももちろん乗りたいと主張しましたが、さすがに父親に反対され、兄姉よってたかってなだめられ、その意をくんだかどうかはわかりませんが制作者のニオノが身長がこのくらいにならないと無理だと王女の頭をぽこぽこして示したので、しぶしぶあきらめました。 そうして日が高くなってくると、おなかもすいてきます。 木陰にシートを広げて、シェフに持たせてもらったお弁当でお昼ごはんにしました。 外でお弁当を食べるなんてことはみんな久しぶりでした。 お昼ごはんを食べ終えると、王女とニオノとリンリはまたボードで遊びに行きました。 ニオノが細かい調整をしながら、動きの精度を高めていきます。 それによって徐々にもっと複雑な動きが可能になってきました。 シフシュは、双子の面倒を見るロントとともに木陰にのこり、のんびりとしていました。 おなかいっぱいのヨキとヲキは、それぞれシフシュとロントのひざで眠ってしまいました。 ちいさくて、重くて、あたたかい。薄い赤毛はさらさらふわふわです。 姉のヨキは好奇心が強くシフシュのひざで眠ることももはやものもしませんでしたが、弟のヲキは用心深い性格で、まだすこし新しくやってきたおにいさんたちを警戒していました。 ロントは、きみも遊びにいってもいいよと言いましたが、シフシュはそこに残りました。 ちいさな子供たちのそばにいたかったし、彼のそばにいたかったからです。 そのうちおやつの時間というころになると、そろそろ引き上げることにしました。 私邸に帰ったころにはみんな疲れていて、おやつの前にお昼寝にすることになりました。 ロントとシフシュは眠ったままの双子をベッドに寝かせ、カンヤとニオノとリンリも自室で眠るように追いやりました。 リビングに残ったのは、ふたりだけになりました。 「きみはまだ元気みたいだね。若いっていいねえ」 ソファに沈みながらロントが言います。 「あなたもそんなふうに言うほどの年ではないでしょうに」 シフシュも飲み物をたずさえてとなりに腰をおろしました。 「きみとはひとまわり違うよ。おじさんだよ」 「あなたがたの公務は、我々には想像できないくらい激務でしょう」 「僕はキキほど仕事してないし。そんなに体力ないよ」 ロントはちいさくあくびをします。 「あなたも、眠るなら寝室へ行ってくださいね」 「おじさんはもう動けないので運んでほしいかなあ」 「無理ですよ」 「即答はすこし傷つく気がするんだけど」 「そりゃあ俺の力で大のおとなは無理でしょう。ちいさな子ならともかく」 「こんなにおっきいのに」 「文系なので」 「ふふ」 「言うほど大柄でもないですし」 「では一番大きいけれど」 「そのうちリンリの方が大きくなるとかはあるかもしれません」 「男の子はまだ成長期だろうからねえ」 ロントはグッとのびをしました。 「そういえば背が高い人は足もおっきかったりするみたいだけど。シフシュくん、足どんな感じ?」 ふいにそう言って、くつしたを脱いで裸足になって足をのばします。 その足は、思ったよりもずっといたいけな印象を与えました。 彼に期待した目で見られ、シフシュはしかたなく自分も裸足になって足をならべてみます。 「やっぱおっきいねえ」 する、と素足をこすられるとなんだかきもちがざわつく気がしました。 色白で、すべすべで、やわらか。 さくら色のつめ。 「僕ら、足、違う型だね」 「?」 「足のかたち、違うでしょ。きみは親指からずっとナナメだけと、僕は人差し指が長め」 「ああ、ほんとだ」 「なんとか型って名前あるんだよ。忘れちゃったけど。三タイプくらいにわかれて、祖先がどこから来たか、とかによるらしいよ」 「へえ」 そう言いながらもふたりはだいぶ密着していました。 外で動いたあとなので、すこし汗のにおいがしました。 眠そうにとろけた視線。 すこしも穏やかじゃありません。 「僕たちも昼寝する?」 「──部屋に行ってください」 「はあい」 そう応えながらも、彼はすこしうとうとしだしたようです。 シフシュの肩に寄りかかりました。 その身体の重み。体温。 伏せた目をふちどるまつげさえよく見える距離です。 光にきらめく栗色。 これで何度めでしょう。きれいなひとだ、と思いました。 こんな風にがんぜない信頼は身にあまる気がしました。 堪えきれず下を向きます。 すらりとした白い腕。ひどく日に焼けてしまわなくてよかったと思われます。 足と同じようにさくら色のつめ。 その指先をからめとるように握ってみます。 これは穏やかじゃない。 ただどうしたらよいものかもよくわかりませんでした。 *** 今日のおやつの時間は、王太子婿三人だけでした。 王家の人たちはお仕事でお出かけ中で、幼い双子の面倒は乳母がみています。 リンリとニオノのふたりが来ると、シフシュが用意されていたおやつを給仕してくれました。 「シフシュさん、毎回ぼくらの分まで用意してくれなくてもいいですよ」 と、リンリは言いました。 彼には、基本的に声は小さくてぼそぼそしゃべるのに、なぜか聞き取りやすいというすこし不思議な特性がありました。 「迷惑か?」 「迷惑ではないですが──いや長期的に見たら迷惑かもですが」 「長期的?」 「こうやって甘やかされてぼくがいずれダメ人間になるとかしたら結果的に迷惑と言えなくもない、かもです。でも短期的に見たらただぼくらが楽してラッキーなだけです。いつもありがとうございます」 「どういたしまして」 「でもやらなくてもいいです。ぼくらはちいさな子供じゃないので放っておかれても死んだりしませんし、悪く思ったりもしません」 「そんな大した手間をとってるわけではないし、気にしないでいいよ。そのくらいできみがダメになったりはしないだろうし」 「そのくらいのことを些細だと許すことからあらゆる崩壊は始まるものなんですよ。あなどってはいけないです」 「きみは自分に厳しいな」 「ぼくは普通ですよ。逆に、シフシュさんがダメになるパターンもありえますし」 「俺が?」 「他人に気をつかいすぎるのもよくないです」 「きみはやさしいんだな」 「ぼくは普通です」 リンリはすこし小難しい物言いをしますが、いつも理屈は通っていますし、他者への思いやりもあって、シフシュは悪い気にはなりませんでした。 どこか心配性で、自己評価は低め。 しかし客観的に物事を見ることが得意な彼は、それをいつも普通だと言いました。他の人たちこそが楽観的すぎるのだと。 鬱病の患者の方が自己評価が現実的でそうでない人の方が自分を過大評価しているというような話もあるくらいですからね、とかなんとか言っていました。 彼はニオノのように天才というわけではないけれど、それなりに物知りでした。 たぶんその知識の蓄積が彼の判断の精度を高めているのでしょう。 三人の中では一番年下であるものの、そうは思えない賢明さと慎重さがありました。 そしてなにより、必要なことは全部漏らさず話すので話が早いのです。 「シフシュ君」 ふいに呼びかけたのはニオノでした。 「ん?」 「ちちうえとセックスしたいの?」 続く唐突な科白に、リンリは前髪に隠れた眉を盛大にしかめました。 ちなみにニオノがロントを“ちちうえ”と呼びキキを“ははうえ”と呼ぶのは、ただ王女の呼び方をなぞっているだけで、彼らを義理の両親として慕っているからだとか王女の夫としての自負があるからだとかいうわけでは決してありません。 おそらく王女との結婚も、新しい友達とパトロンができたからいいか、くらいにとらえていました。 彼は他人の動向にたいして興味がありませんでした。 人心は解さない、と言いました。 人類を同胞(はらから)とはとらえていないふしがありました。 決して冷酷だというわけではないのですが、おそらくその頭脳と美貌によって余人にははかりしれないようなことが多くあって、それはほぼ悪いできごとで、それが彼に人とのまともなコミニュケーションをほぼ諦めさせてしまったのです。 稀代の天才である彼にすらできないことはありました。 だから、彼の言葉にはオブラートはありません。その手間は彼になにももたらさないからです。 それはときおり人を傷つけるような力を持つこともありますが、悪意も善意もないことはとうに理解していていましたし、そろそろ慣れてきていたので、ここにいる者にはもう大きなダメージはありません。 それでも、なお、今の問いかけはリンリが渋い顔をするような内容でした。 他人のプライバシーにおそろしいほど深く切り込んでいます。 けれど当のシフシュはといえば、困ったような顔でしばらく思案してから、 「──したそうか?」 と逆に問いかけました。 「うん」 「じゃあ、そうなんだろうな」 そのやりとりの間、リンリは息をつめるようにしていました。彼をしても状況を見定める目途がなかなかつかなかったのです。 シフシュは次に、リンリを振り返りました。 「そんなにわかりやすいか?」 「ぼくはわからないですよ。今だって、あなたがあっさり受け入れた方が意外です」 「ならいいけど。性的な目で見られているとわかるのは気分よくないだろうし」 そういう問題なのか?と思ったリンリが次になにか言う前に、ニオノが先に口を開きます。 「それがバレて問題になるのは相手にはその気がない場合だろ。おれは人心は解さないがは知ってるんだ。むこうもまんざらでもなさそうだからべつにいいんじゃないの」 「満更でもないのか?」 「うん」 その大きな問いにニオノがあまりにあっさりうなづいたので、シフシュは思わずリンリを見ました。 「いや、ぼくにはどちらもわかりませんよ。ただ、おふたり仲良しだなって思ってたくらいです。そんなことが簡単に“わかる”っていうのはニオノさんだけでしょ」 「そうか」 「だから、否定もできませんけど」 「そうか。まったく望みナシじゃないのか。困ったな」 「まあなんとかなったらなったで義父と不倫ってAVみたいな状況になりますからね」 「AV」 「あ、見てないですよ中身は。未成年ですし」 「えらいな」 「そこまで興味もないだけなんでえらくはないですが」 「不倫か」 「どちらも既婚者ですからね──一応」 「一応ね」 「とはいえぼくらは姫の恋人というわけではないですから、不貞なのかどうかはビミョーだと思いますけど。そもそも守るべき貞節があるのかっていう」 「ああ」 「むこうだって、今現在恋人ってことはないでしょうし」 「断言するんだな」 「おふたりも政略結婚でしょうからそもそも恋人だった時期があるのかもわかりませんが、だとしてもとっくに時効じゃないですかね。恋愛感情って三年くらいしか続かないらしいですから。双子ちゃん殿下が生まれてからだってもう五年ですし」 「きみはいろんなことを知ってるな」 「一般教養です」 「無教養で悪いね」 「あなたが無教養だったらこの世のすべての人が無教養ですよ。あなたには必要のない教養なのでしょう。ぼくは、俗っぽいので」 「きみも貴族の子だろう」 「うちはおたくほど身分も高くないですし、ぼくは四男で、そんなに育ちがよくないんです」 「俺も三男だけど」 「あなたは末っ子でしょ。ぼくはまあほぼ真ん中っ子。ほったらかしですからね」 「そうなのか?」 「そうなんです」 「ふうん。そうなのか」 そうは言ってもシフシュはまだどこかニオノの言ったことを気にして、思案しているようでした。 ニオノは自分の振った話なのにもう興味をなくしたように平然とおやつを食べていましたが、リンリはおいしいおやつにもまだまったく集中できません。 軽口で不倫なんていう不穏な言葉を不用意に出してしまったことを後悔もしていました。 リンリにはもちろん彼を責めるようなきもちはみじんもありませんでした。ただフィクションみたいな展開に実際に出会ったことに対するちいさな感動があっただけでした。 何度かなにかを言おうとしてはやめることを繰り返して、四度目でやっと切り出します。 「だいたい不倫ってなんていうか、貴族の“伝統”ですよね。今さらどうこう言う話でもないでしょう。まあかつては大した娯楽もなかった時代だからでしょっていう話もあるかもですが。それを言ったら恋愛や結婚とセックスをセットで扱うという“貞節”なんてのも、性病が社会問題すぎた時代の産物で現代人にはどっちでもいいことって感じだと思いますし」 話がとぎれることを怖れているように次々とまくしたてる彼に、シフシュは思わず微笑みました。 「俺を励まそうとしてくれてるんだな。ありがとう」 「いや。一般論ですよ」 「照れ屋」 ずっと黙ってふたりの話を聞いているのかいないのかもわからなかったニオノが久しぶりに口を開きました。 リンリを揶揄するようないやらしい笑みも実に様になります。 「うるさいです。というかほんとに。シフシュさんのような人をフォローするような甲斐性ぼくにはないので。そんな裏の意図とかないです。っていうか常にないです。勝手に深読みするのはやめてください」 「きみも正直だとはわかっているよ。すごく助かってる」 ニオノは嘘を吐かないし、リンリもまたしかりです。 人間関係としてはだいぶ楽だとシフシュは感じていました。 厳しいことをいうことがあってもそれに含みはなく、今も、こうしてシフシュのことを真剣に考えてくれています。 その真意を疑わなくてもいいというのはほんとうにありがたいことです。 「娯楽かあ。べつに暇をもてあましてたりするわけではないと思うのだけど。というか、むしろいそがしいかも」 「疲れマラというのもある」 「だからそういうのやめなさいよニオノさん」 「そもそも性欲がそこまでピンとこない」 「そもそも論で言えばその下品な言い方に付き合わなくてもいいと思うんですけど」 「恋愛だとしても三年だろう。刹那的な衝動なのは変わりないわけだからあんまりな、という気が……」 「刹那的だと悪いの?」 ニオノの疑問は実に無邪気です。 「うーん、そう言われると悪くはないかも。ただ不誠実というか、お行儀がよくないという気が俺はする。かな?」 「行儀」 「きみは気にならないか」 「いや、行儀悪いとじいさまがかなしむ。よくないことは、わかる……」 よもや、彼が言いよどむようなことがあろうとは。 ふたりはわりと結構だいぶ驚きました。 じいさま。祖父。つまりニオノも木の叉から生まれたというわけではなく、家族がいて、愛情をもっているのです。 常に迷いも憂いもなくまっすぐ一本道を歩いているような彼の、意外性でした。 けれど、深く追求はしませんでした。ふたりとも、他人のプライバシーに好奇心で無遠慮に踏み込むほど不躾ではないのです。 なんにしろ、孤独におちいりがちな彼にも味方になってくれる家族がいるのであればよかった、という気持ちの方が勝ります。 「お祖父様と仲が良いんだな」 「仲良くはないけど、おれを好きなひとは数少ない」 「そんなことはないだろう」 「打算なく」 「うーん、そうか」 「というか、今まさにあなたを好きでいてくれるここの人たちにあんまりそういう風に言わない方がいいと思んですけど」 「つまり、リンリ君もおれが好きなんだ」 「そんなこと言ってませんけど」 「そういう意味だろう。そのくらい理解できている」 ニオノがにっこりと笑うと、リンリの抵抗するすべはほとんど奪われてしまいました。 それは、王女がそうするときとほとんど同じような力を持っていました。 おやつの後にはお茶をいただきます。 ニオノはそのあまりある才能でラテアートもできました。 とはいえもとからできたわけでなく、そんなことには興味もなかったのですが、愛くるしい王女にやって欲しいとねだられて断りきれず、インターネットで動画を見てちょっとだけ練習したらできるようになったのです。 それからは他の人に対してもときどきふるまってくれました。 今日のカプチーノには、きれいな葉っぱもようが描かれました。 「実際どっちでもないかもしれませんけどね」 リンリがぼそりと言いました。 「ん?」 「よく言う話ですが、選択肢を与えられるとなんとなくその中から答えを選ぼうとしがちですが、実は正しい答えはそれ以外にあるという場合もママあるので。シフシュさんのそれも、本当に、性欲でも恋愛でもない第三とか第四とかの選択肢かもしれません。だからそこを気に病んでも甲斐はないかも」 「セックスしたい、という願望にそれ以外場合がいまいち思い当たらないけど」 「セックスと言ってしまうと限定的な感じですが、身体的なコミュニケーションを望んでいるって思えばもうちょっと普遍的な感じじゃないですか?」 「うん?」 「ちいさな子供でも親にだっこしてもらうとうれしいでしょうし、友人同士でもフィストバンプとかハグとかして友情を確認する。人類以外の動物だと毛づくろいとか、群れの関係性を安定させるための性的な行為とかもありますし」 「そうなの。最後の」 「そうだよ。霊長類でもある」 と、ニオノ。 「へえ。リンリ、ほんとにいろんなことを知ってるんだな」 「だからぼくは普通です。っていうかまた脱線してます」 「ごめん。で、なんだっけ?」 「そうやって考えたら、他人と触れ合うことには他にもいろんなパターンがあるなってイメージしやすいでしょう?ということです」 「たしかに? でも、そうやって勝手に範囲を広げちゃうのは俺に都合がよすぎないか?」 「そこは、加えて、ニオノさんはなんでもわかる天才だとしても、すくなくともこの場合、言葉のチョイスがちょっと雑なんじゃないかとぼくは思っています」 「どーゆうこと?」 リンリの言い分に、他人から間違いを指摘されるようなことがすくないニオノは、すこし身がまえたようです。 それでも言ったのが他の誰かならほとんどはどこ吹く風なのでしょうが、相手がことリンリの場合には彼も多くの場合注意を払っているようでした。 「人類の処理能力ってそんなに高くないので、いろんなことをざっくりと分類してざっくりと理解したことににしてしまって話を進めやすくしているでしょう。でもなにしろざっくりなので、そのレッテルは必ずしも真実とは言えない。違う事象を同じ言葉で表してしまっていることもたぶん多い。 言葉の意味はもともとどうしてもファジーなんです。セックス、という比較的限定的っぽい言葉ですら、わりと定義に幅がありますからね。いわゆる性交という一番の狭義で使う方が一般的ではあるけれど、たとえば世のカップルのセックスレス調査とかした場合のセックスというのはハグとかキスとか身体的接触による愛情表現とされるもの全般を含むというかなり広義で使っている、とか。 普通はその一般的に使われる狭義の方イメージで話を進めたりするんですけど、ぼくもシフシュさんも基本的にはそうですよね、でももし後者だとするとだいぶ印象が違うでしょう?」 「ニオノは後者で言った、ということ?」 「いえ。人の心の機微に興味がないニオノさんの人心に対する理解はたぶんさらに大雑把ですから。そもそも適切なレッテルを選ぶことが難しい。それはたぶん本人もわかっていて、しかもニオノさんは科学者なので、話がズレないようにできるだけ限定的な言い方を試みた結果が先の“セックスしたい”だったんでしょう。 でも雑に切りつめすぎて本質じゃなくなったというか、逆効果だったのではないかと思うんです。あと、ぼくの軽口も悪かったですし…… “セックスしたい”を一般的に性欲とか恋愛とかいう意味で理解して、そういうのを、ことよく知った相手に対してはなんらか不誠実だと感じるのも無理からぬことなんでしょうけど、今回の場合はそもそもそういう話じゃないのではないかと思うんです。もっとふんわりと、彼との関係を深めたい、というようなことが真意なんじゃないですかね。 だからたぶん、今回は、もっとざっくりとした聞き方が適切だったのではないかというか」 「ざっくり?」 「つまり、“殿下を好きなのか”と聞くべきだったのではないかと」 「──好きなのかな」 「好きでしょう」 「いやまあ好きだけど」 「ぼくら全員、たぶんニオノさんですら、ここのみなさんをすこしずつ好きになってきています。それも性欲や恋愛ではないし、いわゆる友情というのとも違うでしょう。彼らはそもそもが特別なひとたちですからね。 でもいっしょに暮すようになると、親しみもわいてくる。その敬意とか身内意識とかいろんなものがまざった好意を、ぼくらもまたなんて呼ぶのかわかりやすい名前で分類はできません。そこに多少性的な意味が加わることも、まあ、あるかもしれません。殿下は、ふしぎなことに本人にもご家族にもいまいち自覚がないっぽいですが、おきれいなひとですしね。 その好意には適切な名前は一生つかないかもしれないけど、きっとそれは特別ありえないようなことではないし、恥ずべきことでもないし、悪でも善でもない。自分の正気を疑わなくてもいい。ただすくなくとも、不誠実ではありたくないと悩んでる時点でだいぶ誠実なので、その点は大丈夫なのではないですかね。だからことさら気に病む必要もないのでは。と、いうのが現時点でのぼくの意見です」 「おお。一気に言ったな」 「つまらない話を長々と失礼しました」 「つまり、保留じゃん」 「まあ大きくはそうとも言えます」 「保留か。まあ、そうなるのか」 「はい」 「なんにしろ、子供ができるわけじゃないだからそんな気にしなくてもいいんじゃないの。子供が生まれちゃうと、王位継承権問題とかややこしくなる場合もあるかもだけど」 「陛下ならともかく、殿下は継承権の順位そんな高くないので現実的には順番がまわってくるとこはないでしょうしね」 「そういう問題かあ」 「あとは実際手を出してから考えればいいよ。今はなにか判断できる条件が全然そろってない」 「手を出すことは前提なんだ」 「どうせなら若気のいたりとかで許される年齢のときにやっておいた方がいいと思いますよ」 「きみたちの方が年下なのに、その言い方」 「内部のことがわざわざスキャンダルになったりはしないでしょうし、たぶん想定できる悪いことで一番厳しいのは、姫に泣かれる、とかでしょうし」 「う……」 「どっちの理由かどっちでもないのかはわかりませんが」 「どっち?」 「夫を寝取られた、なのか。父親を寝取られた、なのか」 「あー」 「ちなみにその二択ならぼくはどっちかというと後者の方が濃厚っぽいかなと思いますが」 と、リンリはニオノを見ました。 「うん。そーだね」 三人は王女の夫になるために集められたことで初めて出会った寄せあつめでしたが、それなりに仲良くやっていました。 王家の側から仲良くするよう言われたわけではなかったけれど、大きな衝突もなくいっしょに暮らすことに慣れていきました。 特にニオノとリンリは元の生活で気のおけない友人などというものは望むべくもないような状態だったものの、ここでは特に浮くことなくすごしています。 シフシュにとっても、まわりには年上の大人が多くあまり同年代や年下の人間と交流するような機会がなかったので新鮮でした。 とはいえふたりはかしこくて素直なので、今まで会った誰よりも話がしやすいのです。 いいことにも悪いことにも嘘がなく、素直に受け入れることができます。 急に王太子の夫に選ばれたことには困惑する部分も多かったけれど、彼らと仲良くなれたのはうれしいことのうちの大きなひとつでした。 彼らは、こんなことでもでなければ出会うこともなかったような人たちだったでしょう。 シフシュは、彼らと知り合えたことに感謝していました。 「しかし今日はずいぶん雄弁だね、リンリ君」 ニオノが言いました。それは特に責めるようでもなく、かといって大きな興味があるようというわけでもないとても平坦な調子でした。いつもの彼の話し方です。 「でしゃばりなのはわかってますが」 「いや、そんな風に思ってないはないよ」 と、シフシュ。なぐさめでもなんでもなく、本心です。 「でも、人事を尽くしておきたいタイプなので、やるしかないんです」 「人事?」 「なにかよくないことが起きた後で、あのときああしておけばよかったと後悔するのがものすごくストレスなので、たとえ疎まれてもできることは先にしておきたいんです。実際はできることはあるのにさせてもらえないことも多いですが。あなたはぼくにやさしいので、やや調子に乗ったりはしてます。すみません」 「ああ。きみはほんとにやさしいんだね」 「あ。いや。それは本当に誤解ですよ。いいようにとらえないでください。僕が嫌なことを回避したいだけなので。利己的な話です。あなたがとやかく言われたくないかもとかいうそちらの都合は無視しているので」 「そうか。でも疎んでないよ。きみのその利己的な行動はついでにだいぶ俺のためにもなってると思うから、むしろありがたいよ」 シフシュの言葉に、リンリはどうしようもなく複雑な顔をしました。 「ありがとう」 *** 夜もふけ家族がばらばらと寝室に戻るとき、一番最後まで残るのもまたロントであることが多いのです。 その夜もやはり、最後に残ったのは、シフシュとロントでした。 シフシュが自分も自室に戻って寝ようかと思ったとき、ロントがキッチンから顔を出して言いました。 「シフシュくん、お酒飲める?」 「はい。出されたら口をつける、くらいですけど」 「じゃあちょっとだけ。付き合って?」 と、色ガラスの小瓶を掲げました。 シフシュが了承すると、ロントはちいさなグラスもふたつたずさえてリビングに戻り、ふたりはソファでならんで座ります。 「一応、僕も領地があるんだ。そこの人たちが、毎年新酒を送ってくれるんだよね。手前みそって思われるかもしれないけど、なかなかおいしいと思う」 言いながらロントは瓶のキャップを開け、その中身をちいさなグラスに注いでいきます。 「やりましょうか?」 「ん、いいの。僕がふるまうんだからね。きみはお客様でいて」 半分ほどまで注ぎ終えると、片方のグラスをシフシュに渡します。 「どうぞ」 「ありがとうございます」 シフシュはグラスの中身を眺めました。 それは、すこし黄金色みがかったきれいな液体でした。 顔に近づけると、果実のようなさわやかないい香りがしました。 一口、飲みます。 「ああ。おいしいです」 「よかった」 ロントはシフシュの様子を見てほっとしたように、自分のグラスに口をつけます。 「すっきりして飲みやすいですね」 「そうなんだ。醸造酒だからアルコール度数はそこまで高くないんだけど、飲みやすいから気づかないうちに飲みすぎてしまわないよう気をつけないといけないんだよ」 「だからちいさな瓶で?」 「いや、それは単に僕もキキもあんまり飲まないほうだからってだけ」 「そうでしたか」 「でもせっかく送ってくれるんだしたまには味わいたいんだけど、そんなわけでわりと消費が追いつかなくてね。きみもときどき付き合ってくれるとうれしいなって思う」 「はい。ではそのときにはまた誘ってください」 「ん。ありがとう。お願いします」 「こちらこそ」 「今日は急でごめんね。今度はもうちょっとちゃんと、なにかおいしいものとかも用意してもらったりしようね」 「はい」 ロントは自分のグラスを飲み干すと、ほうと息を吐きました。 すっかり緊張のとけた様子でした。 「シフシュくん、おとななんだねえ」 「?」 「お酒飲めるんだ」 「多少飲む機会もありますし。わかってて誘ったのでは?」 「うん。でもすこしふしぎ」 シフシュを見上げて、へらりと微笑みます。 「ニオノくんも来年から飲める年齢だけど、ニオノくんにはちょっと頼みづらいかなあ。なんかこう、一刀両断にされそうで」 「ああ、酒に興味なさそうというか、淡々と不利益を説かれそうですよね」 「その場合まず間違いなく彼が正しいんだろうと思うけれど。うまく受け止めきれる自信がないよね。僕が不甲斐ないばっかりに」 「まあ素直な言葉選びも、それで通じるという信頼のあかしだと思うんですが。応えるのは容易ではないときもありますね」 「前向きなとらえかただ」 「リンリが、ここでは話がほぼ通じてる、なんて言ってましたが、たぶん、ニオノも同じように思っているのだと思います」 「そっか。ニオノくんは特に、大変そうだものね」 「そういえば、ニオノはあれでおじいちゃん子のようです」 「そうなんだ」 「意外でした」 「ふふ。そうだね」 彼にじっと見つめられると、シフシュはやはりどこか穏やかではいられなくなります。 「きみはお兄さんだね」 「はい?」 「年長だからってなんかいろいろまかせてしまってごめんね。苦労かけます」 そう言いながらロントはぺこりと頭を下げました。 王配殿下にそんなことをされてはこちらか恐縮してしまいます。 「いや、べつに、そんなことは」 「きみも、したいことがあったら言ってもいいからね。全部は無理だけど、たまには、叶えてあげられると思うし」 ロントは、シフシュの腕に寄りかかりました。 それはまるで男を誘うようにどこか徒っぽいしぐさでした。 アルコールのせいかくちびるはすこし赤らんでいて、瞳は妙に潤んだようです。 表情はリラックスしたようにうすく微笑んでいました。 彼は魅力的なひとでした。それはもはや否定しようがありませんでした。 キスしたい──── 穏やかでないきもちがふくらんでいきます。 「酔ってます?」 「ううん。さすがにこのくらいではまだ酔わないよ」 「そんな風にされたらいい気になりますよ」 「いい気?」 「俺に気があるのかも、って」 「ふふ。きみみたいな若くてかっこいい男の子にそんな風に言われたら、こちらがいい気になっちゃうね」 シフシュは、はにかむように目を伏せたロントのほおを、手の甲でふわりと撫ぜました。 すこし火照っているように思えましたが、気のせいかもしれません。 ロントはその手にほおをすり寄せるようにします。 ゆっくりとしたまばたき。 抵抗はありませんでした。 ふたりはついにくちびるをあわせました。 「……わあ」 「それだけですか?」 ほんのり赤くなった顔は、アルコールがまわったせいではありません。 「んー。ひょっとして僕、口説かれてる?」 「はい。そうです」 シフシュはキスを繰り返します。 抵抗らしい抵抗はありません。 ときどき応えられるようにくちびるを食まれると、心臓が高鳴りました。 「口説かれたの、初めて。ドキドキするね」 「初めて?」 「うん。僕、十六にはもう次期女王の夫だしね。多少その気があるくらいの人はもしかしたらいたかもしれないけれど、まあ怖いじゃない」 「ああ」 「きみは? 怖くない?」 「そういうことは、あんまり?」 「ふうん」 「陛下の人となりはすこしは知っていますし」 「そっかあ」 「──あなたは?」 「うーん。僕は、キキに怒られるかもと思うとちょっといやかな。あと、カンヤに嫌われたりしたくないなあ──」 「ああ。じゃあつまり、あなたのお気持ち的な否定はないんですね」 ロントは娘婿である彼にいくらキスされても拒めませんでした。 憎からず思っている若くてかっこいい男の子に好意を寄せられて、拒絶できるほど朴念仁ではありませんでした。 舌を吸われて、口内を舐められて、すぐにとりこにされます。 「今日のきみはとても自信家だ」 「そうですね。なんていうか、お墨付きがあるので。自信は、だいぶあるかも──」 「お墨付き?」 「ニオノが、一方通行じゃないと言っていたんです」 「ふふ。そうか。ニオノくんにかかったら装えないねえ」 ロントは観念したように目をすがめました。 「きみは、あのふたりをとても信頼している」 「彼らは優秀ですから」 「だからって、それはたぶんすごいことだと僕は思う。僕やキキもそうだけれど、すべてを自分だけでできるわけではないからね。自分より優秀な人の助けを借りることは絶対に必要になって、それをためらわないのがきみのいいところだと思う。僕なんかと違って、きみはすごくちゃんとしててえらいなあって」 そう言いながらシフシュにすっかり体重をあずけてしまいます。 「得がたい人だね」 「次期女王の夫として?」 「それもあるし、それ以外もあるかな」 「それ以外?」 「きみほど僕を甘やかしてくれる人はいない。大好き」 「はは。打算的ですね」 「幻滅した?」 「いえ。俺はあなたを甘やかすの嫌いじゃないですから」 「よかった」 彼はそうして、意味深に微笑みます。 「でも、たぶん、僕もきみを甘やかしてあげられると思う」 「調子に乗りますよ」 「若い子はよくばりだね」 「幻滅しますか?」 「ふふ、しかたないなあ」 「これは結局は、恋とか性欲とか、いつかは消えてしまうものなのかもしれません」 「?」 「でも、いつか失うのは嫌だとも思っています」 「うん。そうだね」 ロントはシフシュの手をとって、力づけるように両手でぎゅっとにぎりました。 「でも僕らはもう家族でしょう。大丈夫、家族は消えたりしないから」 「──はい」 *** 次の日の朝食の時間、今日もニオノは一番最後にやってきました。 リビングに入るなりまずシフシュを見て眉を上げ、次にロントをじっと見つめます。 そしてなにかを納得したようににっこりと笑いました。 それはおそろしく美しい笑顔でした。 他にはリンリだけがそれを見ていて、彼は誰にも聞こえないくらいの声で「なるほど」とつぶやきました。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加