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駄目、と店主が怒鳴った。増永と言う男、とにかくうどんが好きで、放っておくと毎日うどん、しかも際限なく食べる。どこぞの金融会社の偉いさんらしいが、数年前にここに来てから休業日以外顔を出す。
調子に乗った増永が五杯うどんをおかわりをして、顔を真っ青にして倒れた事が以前ある。その時に呼んだ部下がまたか、と顔をしかめていた所を見ると、以前にも何回かあったんだろうと店主は推測した。
顔は怖いが、案外愛嬌のあるいい男である。ぶすぶすと文句を言いながら財布を取り出す増永を見ながら店主は尋ねた。
「あんた、なんでそんなにうどんが好きなんだい。」
すると増永がなんでだろうな、といい笑顔を見せた。
「もう、いてもたってもいられなくなるんだよ。あのうどんがさ、たまらないんだよ。腹にずっと入ってて欲しいんだよ。昔さ」
「うん」
「子供のころ、うどんを食う時親父が必ず二玉食べるんだよ。貧乏だったから、三玉しかうどんが買えないのに、必ず親父が二玉。で、お袋と俺は一玉を半分に割って食べるんだ。」
子供心に大人になったら絶対二玉食ってやろうと思ったね。毎日どうやったらうどんが二玉食えるかそればっかり思ってたよ。それでかな。
「で、二玉食べられる今はどんな気分だい。」
店主が聞くと、増永はははは、と声を上げて笑った。
「それがおかしなもんでね、幾らでも食べたくなるんだ。二玉どころか、腹一杯。腹一杯になったら毎日食べていたい、なんて。なんでだろうな。おかしいな。…まあいいや、おやじさん、また明日来るよ。」
「二杯だけな」
「…まあ、二杯だけ」
「寄り道して他の店で食うなよ」
「解ってるよ。ここのうどんが一番だ」
そう言って、増永が立ち上がった。また、明日も彼はうどんを食べにくるだろうが、
(多分こいつのうどん狂いは一生治らねえだろうよ)
と店主は思った。うどんを腹一杯食べたがる、それは、少年の増永が感じた飢えのなごりではないだろうか。
腹が減っている。目の前の父親の丼にはうどんが山盛り、それをうまそうに父親は啜る。豪快に口一杯にほうばって
対する少年の丼の中にはほんの少し。
あまり沢山ほおばると、すぐになくなってしまうから少しずつ齧る。つる、る、と一本ずつ。
父親はずるる、ずる、ずるるる、と大きな音を立てて喉に流し込む。少年は思う。
(腹一杯、うどんが食べてえな)
そして、際限なく食べれるようになった今でも、満足できないのは。
(お前さんには、愛情かけて飯を食わせてくれる嫁さんが必要だぜ。人間ってのは、飯を食うだけで満足できるような簡単なもんじゃねえんだよ。うまいか、聞かれてうまい、と言いながら飯を食わねえと、どうにも味気なくてすぐに腹が減る。)
店主は思ったが、きっと、それを言う事はないだろう。そんな事は自分で理解するしかないのだから。
ごちそうさん、と出ていく増永に毎度、と言うばかりであった。
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