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「あの、先生のお子さんって今は……」
「元奥様と一緒にテロ事件で亡くなられたそうです」
やっぱり文君だ。
文君が先生のお子さん……。
ああ、そうか。初めて会った時から先生に感じていた親近感は文君とどこか雰囲気が似ていたからなんだ。
今、初めて腑に落ちた。
先生、ひなこさんだけじゃなく、文君も亡くして辛かったよね。子どもを亡くす痛みは私も少しはわかる。お腹の中で流れてしまった子の事を思い出すだけで未だに胸が引き裂かれそうになるもの。
そりゃ、ショックで小説書けなくなるよね。
一度に大事な人を2人もだなんて……。
先生の悲しみを思うと胸が締め付けられる。
瞼の奥が熱い。
人差し指で瞼を拭いながら向かい側に視線を向けると、上原さんはハンカチで目元を抑えていた。
「ですから、先生の心は元奥様の事とお子さんの事でいっぱいなんです。そんな先生が葉月さんの事を好きになると思いますか?」
ハンカチから顔を上げた顔が感情的にくしゃっと歪んだ。とても悲しそうに見えた。
上原さんの言いたい事はわかった。
確かに、先生の心に私が入る余地はないかもしれない。
だけど、やっぱり先生の愛情が偽物だったとは思えない。私は往生際が悪いんだろうか。
「葉月さん、この小説を読んでみて下さい」
上原さんがダブルクリップで留めた原稿をテーブルの上に置いた。
「望月先生の新作です。葉月さんをモデルに先生が書いた物です。これを読めば私が言った事が真実だとわかるはずです」
私をモデルに書いた小説……。
原稿を読むのが怖い。
読んでしまったら先生の本当の気持ちを知ってしまう。
人生で一番、愛した人に愛されていなかったなんて知りたくない。
だけど、そうやって私はいつも嫌な事から逃げて来た。純ちゃんがこっそり恵理さんと電話していた時だって見て見ぬふりをした。その結果辛い現実しかなかった。
逃げちゃダメだ。
ちゃんと現実を受け止めなくては。
姿勢を正して、私はテーブルの上の原稿を手にした。
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