夕立のおかげで

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俺は思わずオヤジの小さな体を抱きしめて背中をさすった。 「オヤジ。しっかりしろ。死ぬなよ。」 俺の腕の中でオヤジは、震えながらも、しっかりした声で語った。 「ワシは・・その、今までどうしても盗めなかったものを盗みたくてな。誠。許してくれ。ワシは、お前に嘘をついたんじゃ・・あの家は、ワシの家じゃ。」 「謝るこたあねぇ。オヤジが嘘をついたから俺も嘘をついた。お互い様じゃねぇか。」 「ワシが、どうしたって盗めなかったもの。それは人の心だ。どんなに金があっても人の心は買えない。買えないなら盗むしかない。どうすれば人の心を盗むことができるか、ずーっと考えていた。」 「人の心・・・」 「夢中で泥棒してきた人生だったが、気がつけば、こんな老いぼれの汚らしいジジイになっていた。金さえあれば何でもできると若い頃は思っていた。だが、いよいよ老い先短くなると・・・寂しくてな。ワシは何のために生まれてきたのだろう。そんなことばかり考えるようになった。誠はどうだ? 誠は何のために生まれてきたと思う?」 そう問われ、俺は今までの人生を振り返ってみた。 俺は、オヤジと出会うまで、ろくでもない人生を送ってきた。 何の目的も楽しみもなく、ただ野生の動物のように腹が空けば餌を求め、餌を得るために金を求める。 だが、オヤジと出会った瞬間から俺の人生は輝き始めた。 急に明るい光が射して夢のような生活を送ることができた。 俺の心に明るい光が射したのは、金に苦労する必要がなくなったからではない。 オヤジに大切にされている実感は、俺の心を温めた。 温められた心は、冷凍食品をチンしたみたいに、やっと本来の、あるべき姿になれたのだ。 それまで凍っていた心が、解凍され、他人(ひと)の心まで暖めることができるホッカホカのあったかい心になれた。 俺の人生は、その時初めて動き出したようなものだ。 「オヤジ。俺は・・・俺はオヤジに巡り会うために生まれてきたんだ。オヤジといっしょに、夢を配るために生まれてきた。オヤジを愛するために生まれてきたんだ。オヤジに・・・心を盗まれるために生まれてきたんだよ。オヤジは実に鮮やかな手口で、俺の心、見事に盗んだ。オヤジに盗めないものは何もない。天才だよ。天下の大泥棒だ。まさに泥棒の神様だ。」 するとオヤジは皺くちゃの顔をぐしゃぐしゃに歪めて、震える声で言った。 「誠・・・お前こそ大泥棒だな。」 「どうしてわかった?」 「この用心深い大泥棒のワシの心を、先に盗んだのは誠だ。出会った、その日から、誠はグイグイ力強く、ワシの心を引っ張り出して・・・とうとう完璧に・・・ワシの心・・・盗みやがった。」 涙に曇った俺の目に、同じく惜しみなく涙を流すオヤジの嬉しそうな顔が溶けていた。 俺たちの心は夕立のように激しく、あたたかい夏の雨に打たれていた。 ふと気がつけば、外の夕立は上がり、泥棒神社から見渡せる(みどり)濃き山々の上には、明るい未来へ二人の心を運ぶ美しい虹が架かっていた。    完
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