第一章:乙女は去りぬ

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***** 外に出ると、待ち構えたように眩しい初夏の陽射しが照り付ける。 空は高く澄み、この城の庭ののどかな眺めも昨日までと何ら変わるところがなかった。 それなのに、あの男装の乙女はもう自分と同じ空の下にはいないのだ。 水色の空を船じみた形の雲がゆっくりとこちらに近付いてくる。 ――あなた様はフランスの国王になる方です。 二年前、シノンの仮住まいの王宮で隠れるように暮らしていた自分にあの娘が告げたのだ。 ――わたくしは神のお告げでそのように聞きました。 曇りなき榛色の瞳で迷うことなく告げる美少年じみた面輪を眺めながら、この娘は神の声を聞いた人間よりもむしろ預言に降り立った天使ではないかと思った。 実際、あの時、あの場に合わせた廷臣たちの全てが見目麗しい娘に見とれるというより、むしろ、髪の毛が全て毒蛇になった女とか奇怪な化け物にでも出会(でくわ)したような、ある種の恐怖に囚われた面持ちで彼女の姿に釘付けになっていた。あまりにも美しく清らかである存在は、あまりにも醜くおぞましい存在と大差ない反応を目にした側に引き起こすものだ。 見上げた空の一角で、船に似た雲が次第に裂かれて形を変えていく。 自分がこうして王冠を戴く身になったのも他ならぬジャンヌのおかげだ。 だが、いつの間にか自分たちを取り巻く状況は変わっていった。彼女が敵に捕らえられた報を受けた時、臣下たちはこぞってその助命に反対した。 ――あの娘は陛下の停戦命令に背いて進軍した反逆者です。本来ならこちらでも死罪を科すべき者を莫大な身代金を払って救い出すには及びませぬ。 これは、頭の上では自分も同意できなくはなかった。 ――実際、あの娘は魔女かもしれませぬ。そうでなければ百姓の娘ごときが軍の指揮など。 悪意の目を通すと、傑出した資質までが奸悪さの(あらわ)れにされてしまうのだ。 ――塔の上から飛び降りても生きていたそうですから、あれは人ではございませぬ。 勝ち進んでいる間は武勇伝だった逸話も、こんな風に排除の根拠に利用される。 ――悪魔は美しい女の姿を借りて現れるというではありませぬか。 一度猜疑に囚われた者の目には、輝くばかりに麗しい姿は敵意や憎悪を和らげるよりもむしろ油を注ぐようだ。 今、信頼を置いて重用している臣下たちはいずれも彼女に火炙りの最期を遂げさせることを主張した。
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