山道

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山道

 僕の目の前に立つその中年男性は、くすんだ薄緑色の作業着を上下に着込んでいた。脂ぎった頭髪は薄くなり始めており、寝癖なのかくせ毛なのか毛先があちこちを向いて伸びている。  理髪店が意図してその髪型にしているというなら、店を変えるべきだと教えてやろうかとも思ったが、そのような状況ではなさそうだ。先程から男は、僕をどこかに連れ去ろうとしている様子なのだ。  僕よりも明らかに年上には見えたが、日に焼けた顔のあちこちに刻まれたシワが、男の年齢を判別しづらくしていた。30代だと言われればそうかも知れないし、50代だったとしても驚きはしない。  男は僕の背後へと移動すると、しばらく荷物を出し入れする音をさせた後、歩み寄ってきて、硬い物体で背中を小突きながらこう言った。 「前に進めよ」  これまで経験したこともなかったが、誰かに小突かれながら歩くというのは、あまり気分の良いものではない。模擬試験の結果を並べられ、志望校を変えろと担任に諭された面談を思い出してしまう。  後ろ手に縛られた礼服姿の僕の背骨に時折ゴツゴツと当たる何かは、近くのホームセンターで気軽に手に入れられるような代物ではなさそうに思えた。いや、何を突きつけられているかなど、背中に目のない僕には知りようもなかったが、先程まで男が僕に向けて構えていたものは、骨董品屋や博物館でもなければ、お目に掛かる機会のないモノに見えたのだ。  とにかく、鋭利な刃が背中に当てられていませんようにと、僕は祈っていた。  体型さえ変わらなければ十年以上も使えるのだから、良いものを買うべきだという紳士服店員の勧めに従い、大枚を叩いて購入したばかりの礼服だ。穴を開けられでもしたらかなわない。  出会わなかったことにしませんか、そう口にしてしまいそうになるのをグッと堪えて、思うように動かなくなっている足をトンネルに向けて踏み出した。
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