アナログな風鈴

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アナログな風鈴

「ねえ渉。私たちって、変わってるじゃん?」  僕の彼女、夏華は突拍子もないことを口にすることがある。道の端に住む小さなアリが、アスファルトの上をトコトコと歩く姿を眺めていた僕は、セミの鳴き声に嫌気がさしながらも、どこかでこの街にある生命の営みを楽しんでいた。ジリジリと陽が差すことを嫌がって日傘で対抗する女性がいれば、猛暑を感じさせない走りっぷりを見せるランニングマンもいる。自動販売機の前に突っ立って何を買うか悩んでいる若者もいて、これからプールへ遊びに行くのか、父親の手をぎゅっと握りしめながら浮き輪をつけてはしゃぐ子供もいる。  みんな、どこかで息をしている。もちろん、今僕の隣でシュワっと炭酸が弾けるサイダーを飲もうとする夏華だって、この街の住人として息をしている。そこに突如降り出すゲリラ豪雨のように、何の前触れもなく変わった発言をする変わった女子高生は、盛夏に差し掛かるこの煌びやかな季節を愉快に感じているのか、僕を新しい領域へと誘い込もうとしている。 「いや、変わってるのは夏華だけだよ。僕は別に変わり者じゃないと思うよ」  しかし、夏華は「え、まだ抗うの?」とわざとらしく口を押さえたりして、盛大に僕をからかってみせる。 「もし渉が変わってないとしたら、私たちはこんなに長い間遊んでいないよ。それに、私たちは恋人って一線を超えているんだから、渉もすっかり変わり者に認定されているんだよ。ちゃんと自覚しないとダメだよ」  夏華は自分が変わり者と認めた上で、僕のことを勝手に変わり者と認定してしまった。 「そうなのかな?」 「絶対そうだよ」  疑う僕に、夏華はやはり「変わり者」だと断言する。一度彼女のペースに飲まれてしまうと、もう取り返しがつかなくなる。これは日常茶飯事だった。僕はため息をついて、あっけなく降参した。  一つ歳が上とはいえ、すでに十年以上の付き合いがある夏華を、僕はお笑い芸人でいうところの相方のように感じていた。そこをロマンスな関係へと切り替えたのは、夏華の方だった。今年の三月の暮れのこと。桜の木に蕾がつき始め、これから立派な花を咲かすだろうとワクワクさせる季節に、夏華は僕に一枚のラブレターを渡して、 「私たち、このままいけば多分結婚できると思うんだ。だから、これからは恋人として付き合おうよ」  などと大胆な発言をして僕を困惑させた。あのときは断る理由もなく、夏華が他の男子の彼女になることは許せそうになかったから、とりあえず手を繋いで一緒にジャンプをして、一線を乗り越えてしまったわけだ。それ以降、僕らは現在まで恋人関係として付き合っているが、付き合った後も燃えるような恋をしているわけではなく、昔からの幼なじみとしてぼんやりとした関係を続けていた。 「それで、そんな変わり者な二人が今こうやって恋人関係を築いているわけだけど、私って他の人がやっているような、陳腐な恋愛って好きじゃないの。ありきたりなパターンを辿るだけの関係って、興醒めしちゃうんだ」 「そうだね。それは僕も同意するよ」 「でしょう。それで、昨日思いついたことがあるんだけど、言ってもいいかな?」  またいつものように、奇妙で不可解で僕を惑わせる企画でも思いついたのだろう。今までも散々僕を振り回してきた夏華の提案を、僕は前のめりで聞いてやる。 「何だい?」 「ドキッとする企画だけど、いい?」 「それは心臓に悪いの?」  夏華はちょっとだけ考える素振りを見せて、「悪いね」と黒目の大きな瞳を細めてイヤらしい顔をする。 「もしかしたら途中で耐えきれなくなって、私のところに泣きついてくるかもしれない」  泣きつくって。日陰の下で、僕は不気味に苦笑する。 「それは興味があるね。いったいどんな企画なの?」  夏華は「それはね」と、この晴天に似合わない緊張した面持ちで僕に告げた。 「夏休みの期間中、電話、メール、SNS等で一切連絡を取っちゃいけないって企画なの。つまり、私たちが話合えるのは対面だけってこと。どう?」  小さい頃から僕たちの生活を支えてきた携帯電話からの脱却。頭の片隅にもなかった斬新なアイデアを、僕は素直に素晴らしいと思った。 「実にアナログだけど画期的な企画だね。驚いたけど、良いと思うよ」 「さすが渉。私の恋人なだけあって、物分かりがいいね」  そう言って、夏華はサイダーで乾いた喉を潤して、「ぷはあ」とオヤジっぽく息を吐いた。 「あのね、今の時代は何でもかんでもSNSとかインターネットで繋がることができるでしょう。それにスマートフォンがあるから、好きなときに連絡を取ることができる。恋人同士なんか、早朝から深夜までいつでもどこでも話ができちゃう環境に置かれているわけ。私たちだって、時々夜中まで電話しちゃうでしょう?」 「たしかに」  一方的に夏華が連絡してくるけどね。僕は心の中でそう呟く。 「でもね、それってちょっと寂しい気もするんだ。なぜって、いざこうやって対面で会えたときも、そこに感動なんてしないでしょう。だから、織姫と彦星ほど距離を離す必要はないけど、どこかで恋い焦がれるって気持ちを味わってみたいの」  真面目な顔して真面目な話をする夏華を久々に見た気がする。いつもはお調子者でジェットコースターみたいに僕を揺さぶってくる夏華だが、今日は外国のドキュメンタリーのように、じわりじわりと心を動かしてくる。 「この世の中を生み出している当たり前から外れて、本来の人間のあり方に戻る。そうすることで、本来味わうことができる喜びを手に入れる。夏華もたまには素晴らしい企画を提案するんだね」  僕は褒めたつもりだったが、夏華は不満げに眉をひそめる。 「私はいつも真面目な企画しかしていないよ」  いったい何を言っているんだ、この女は。僕はすかさず反撃に出る。 「いや、それは無いね。前に企画した、一ヶ月ソフトクリームを食べなかったらキスをするって企画は酷かったよ。あんな嗜好品、誰でも簡単に避けて通れるでしょう。それも、なぜか夏華だけに限定しちゃったから、呆気なくクリアしちゃった。あれって、ただ夏華がキスをしたかっただけでしょう?」  僕の正論に、夏華は「うん、そうだよ」と呆気なく認めた。 「渉って恥ずかしがり屋だから、私がキスしてってせがんでもしてくれないでしょう。だから思い切って企画にして、無理やりファーストキスをしちゃったってわけ。あのときの渉、照れちゃって可愛かったなあ」 「やめてくれよ、恥ずかしい」  思わず火照る僕を見て、夏華は「顔真っ赤じゃん」とニヤニヤする。僕はゲラゲラ笑うことなく、少しムッとする。 「怒らないでよ。あ、そうだ。今回もご褒美はキスってことでいい?」 「え、またするの?」 「しないの? こんな可愛い顔した彼女とキスできるんだから、嬉しいと思った方がいいよ」 「それを自分で言っちゃうって、相当変わっていると思うよ」  新鮮な果実みたいに鮮度がある夏華の赤い唇は、いつも僕のことを狙っている。結局、何か理由をつけてキスをしたいだけなんだろう。  僕は再び諦めのため息を吐く。 「分かったよ。じゃあ、きちんと守ることができたら、してもいいよ」 「やったー。じゃあ、早速今日からスタートしよう。もし会いたくなったり何か用事ができたら、お互いの家に行くってことでいいかな?」 「分かった。そういえば、次はいつ遊ぶ? 連絡できないのならここで決めておいた方がいいよね」  僕が言うと、夏華は「それもそうね」と答えて、スケジュール帳を開く。チラッと見ると、空欄がほとんどなく、ぎっしりと予定が詰まっているようだ。 「次は来週の土曜日。せっかくの夏休みだし、ちょっと遠出しようよ」 「いいよ。時間は?」 「時間は、朝早いのは嫌だから十時くらいでいいかな。何をするかはそのときに決めるから」 「分かった」  僕らはその後、友人の話やこの間行ったテストの話、所属している部活動について、蝉の大合唱をBGMにしながら駄弁り続けた。 「じゃあ、私はこれから友達と映画を見に行くから。バイバイ」  昼どきになって、夏華はちらりと時計を見て立ち上がった。これから電車に乗って隣町まで映画を観に行った後、夜はまた別の友人とカラオケをするらしい。ずいぶんとアクティブな生活をしているなと感心してしまう。 「バイバイ。気をつけてね」 「うん。渉もぼうっとして電信柱にぶつかったりしないでね」  そんなことあるかい。  夏華は露わになった細くて綺麗な脚でスキップしながら、僕に背を向けて何処かへ去っていく。僕は一人になって、雲ひとつない真澄の空を見つめる。名も知らない鳥が悠々自適に飛び、今日も平和であることを教えてくれる。 「連絡できない、ねえ」  あまり友達がいない僕の携帯は、夏華からの連絡が大半を占めている。つまり、今日からこの携帯はしばらくお役御免になるわけだ。今はもう、こいつなしでは生きていけない人間も多いというのに、僕らは川の流れに逆らうようにアナログな世界へと入り込んでいくクレイジーな行為を始めようとしている。 「変わり者だな、僕たち」  そしてこの日から、僕と夏華の不思議な一夏の物語が始まった。
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