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11 あなたのせい
夏が終わり、僕たちは帰路についた。
何度も繰り返してきた別れは、寂しさより次の夏への期待を齎してくれる。
だが毎日のように人目を忍んで逢引をしていたノーマとの別れは、激しい寂寥感と焦燥で僕を打ちのめした。兄の婚約者であるノーマとは、彼女がハズウェル家に来るか、僕が兄とノーマの予定にしゃしゃり出ていく以外に会う方法がない。
悶々と日々を過ごしていると、ダニエルから手紙が届いた。
「珍しいな……」
正直、物珍しさに多少の元気をもらって、勇んで封を開けた。
だがそれは、ダニエルからのらしくない手紙ではなかった。
「……」
ノーマがダニエルを騙って、僕宛に親密な恋文を寄こしたのだ。
読んだら燃やしてくださいと、結ばれていた。
僕は暖炉で彼女の想いを灰にして安堵すると、一晩迷い、結局、キャロルの名を騙り手紙を送った。
そうして互いにグランヴィル兄妹を騙り恋文を交わしながらも、兄とノーマは3度の晩餐会と2回のオペラ鑑賞で逢瀬を重ねていた。
昼となく夜となくノーマを想ってヴィオラを奏でている僕に分別は残っていなかった。
兄への嫉妬を隠し、笑いかける。
友の名を利用し、横恋慕を続ける。
そしてついに僕らは、雪のちらつく晩秋のアヴァンズロックで再会した。
使用人を連れて来なかったから、すべて自分たちでやらなければならない。
だが男の力仕事は僕ができたし、家の事はノーマができた。ノーマの指はなんでもできる。料理も、洗濯も、掃除も。彼女の人生のほとんどは貴族ではなかったからだ。
「なんて言ってきたの」
「え?」
ベッドを使って、乾いた僕の下着を畳んで積んでいるノーマが口角をあげた。
「家族に。だって、男とは違うから」
「アヴァンズロックに行くと言ってきたわよ」
「本当に?」
「ええ。父も母も、あなたが一緒なら安心だって」
「……」
冗談にしては、笑えない。
「誰と口裏を合わせればいいのかな」
「誰も。みんなチャーリーよりあなたのほうが好きなの」
ウィールライト家の人間がなにを考えているかわからない。
あの夏も、夜中までノーマを迎えに来なかったり、度々泊まらせたり。僕との密会が公認だとしたら、それはどういう感覚なのだろう。
「浮気するのは貴族だけじゃないのよ」
「君は、チャーリーとどうなってるんだ」
「彼の話をしたいの? せっかくふたりきりなのに」
急に恐くなった。
僕はいったい、なにに手を出しているのだろう。
沈黙が僕の心を伝えたのか、ノーマが手を止め低く呟いた。
「あなたが舞踏会に来なかったからよ」
「……」
以前も、そう言った。
あのとき、ただそう思ったのではなく、ノーマにとっては重要な事のようだ。
「あなたがいればチャーリーと婚約なんかしなかった。最初からあなたと、なんのしがらみもなく一緒になれた。あなたが来なかったから……」
ノーマは怒っていた。
穏やかで朗らかな彼女の静かな怒りは、僕の心を激しく揺り戻した。
「捻挫したから」
「ええ、聞いた」
「普段ならそんな事ないんだ。でも、着地したところに妙に丸い石があって、ありえない方向に足首が曲がったんだよ。折れてないのがふしぎなくらいだった」
「馬鹿」
「そうだね。ごめん」
ノーマが部屋を出てしまい、慌てて追いかけた。
ウィールライト家の別荘は、慣れたアヴァンズロックの中で唯一なじみのない場所だった。ハズウェル家の別荘よりずっと豪奢で派手な調度品が並び、桁外れの財力がよくわかる。広間のグランドピアノはノーマのためのものだろう。廊下には宗教画が順番に掛けられていた。
神の啓示の場面を過ぎて、僕はノーマの肩を掴んだ。
「どこへ行くんだ」
「お坊ちゃまにはわからないでしょうけど、お腹が空く前に食事を作るの。3日目なんだからいい加減覚えて」
そのとき、ようやく僕は彼女の言うお坊ちゃまの意味を理解した。
蔑んでいる。
彼女もその父親も、特権階級を憎む、平民なのだ。
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