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12 特権階級
「ノーマ、どうして僕なんだ」
黙り込んだノーマの瞳には、怒りの炎が揺れている。
気が動転して、自分を制御できない。
「チャーリーは兄なのに……当て付けなら、ダニエルでもよかったじゃないか」
「あなたが好きだからよ」
まるで逆の言葉を叩きつけられたように、胸が痛んだ。
それにこれ以上、自分がなにを口走るかかわらなくて恐い。
「好きな人に抱かれておけば、結婚も子作りも耐えていける」
「わからない」
「ええ、わからないでしょうね。あなたは犯されもしなければ殺される心配もない伯爵家のお坊ちゃまなんだから!」
怒鳴ったノーマが階段を駆け下りていく。
しくじった事だけはよくわかっていた。僕は悪態をついてノーマを追った。
「ノーマ!」
「!」
広間で肩に触れると、彼女は怒り任せに僕の手を払い除け振り返った。
「爵位が必要なの。でもあなたは舞踏会に来なかったのだから、私が誰と婚約しようと関係ないでしょう!?」
「関係あるよ! 愛してる!」
「それだけじゃ生きていけないわ!」
「生きていけるよ。君は僕を好きだと言いながら責めて、爵位のために兄と結婚するのか!?」
「私たちは愛だけでは食べていけないのッ!!」
僕は息を呑んだ。
ノーマの目からは涙が零れていた。
「あの事故で叔父は足を失ったのよ。それでもあの事故は私たちのせい。家を爆破されたわ。あなたたちの世界では下々の人間が事故を起こしても、領主が責任を問われたりしない。恨まれても、一家全員息の根を止めてやるって人たちに追われる事はない。あなたたちは貴族。殺す側の人たちだもの」
「……ノーマ……」
怒りと恐れで泣き叫んだノーマは、過去にいた。
「お金は、私を助けてはくれない。だって父のものだから。それだって、いつも誰かに狙われている。盗られてしまったら、誰になにをされるかわからない。生きてるのが恐いの! 私、誰かのものになってしまわないと……!!」
「ノーマ」
泣きじゃくるノーマを抱き寄せ、腕の中に納めた。
口を押さえようとした手を震わせて、僕を押し返しもしない。
ノーマは低く泣いた。
それは僕の知らない、絶望の音色だった。
僕はノーマを抱きしめて立ち尽くしていた。
ノーマの生きてきた世界は、僕の生きてきた世界とは違うのだ。僕たちは、彼女のように絶望の涙を流し、震えて生きる人々の痛みの上に生きている。
それが貴族だ。
それが、僕らの特権だった、はずだった。
「ノーマ。大丈夫だよ」
「……ぁ」
「僕を嫌っても、兄を愛さなくても。僕が、君を守るから」
少しだけ腕の力をゆるめ、屈んでノーマの額にキスをした。
ノーマは夢を見ているように、呆然としたまま、涙を流し続けていた。
僕はノーマを抱きしめて、彼女をさすった。
もう寒くないように。恐がらなくていいように。
そしてノーマの嗚咽が落ち着いてくると、左右にゆれて、そっとワルツを口遊む。貴族に自分を売り込むためだけに努力したって、あんなに弾けるようにはならない。のめり込んでいる間は、辛い事を忘れたはずだった。
ノーマは音楽が好きだ。
「ヘイデン……」
弱々しいノーマの声は、僕を震わせた。
「一緒に歌って」
耳元に囁いて誘うと、少し遅れてノーマの頼りない音が重なってきた。
審美的ではない美術館のように統一感を欠いた調度品がひしめく広間は、まるで僕たちの事さえ呑み込んでしまったかのようだった。だけどノーマは次第に寛ぎ始め、僕の体に腕を回した。
僕が安心させてあげられたらいい。
そればかり、願っていた。
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