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3 血統と金
「じゃあ君の御父上は、あのダンフォード造船所を経営しているわけか!」
「はい。母の旧姓なんです」
ノーマの膝の上の皿に、摘ままれたままずっとパイが居座っている。
マーカスは身を乗り出して続けた。
「そうか、思い出した。確か10年くらい前、炭鉱で事故があったね」
「ええ。それで母の旧姓で新しい事業を始めたそうです。印象が悪いので」
時代の流れに乗って手広く経営を始めているエドマンドソン家の兄弟は、酒の勢いもあって瞬く間に盛り上がった。
「すごいじゃないか! 最新の豪華客船もダンフォード製だろ? 新聞で見たんだ。えっと、ほら、なんて言ったっけ……コーデリア号!」
「クローディア号じゃないか?」
手を鳴らして目を輝かせたアーサーに、ジョシュアが囁くような訂正を加える。
「はい、クローディア号です」
ノーマが行儀よく答えた。
「大富豪じゃないか! おい、チャーリー! えらい嫁さん捉まえたな!!」
マーカスに腕を叩かれ、兄が作り笑いを返した。
僕は小さな衝撃に一瞬だけ息を止め、シャンパンでチキンを流し込んだ。
なるほど。兄は金のためにノーマと結婚するのか。
ハズウェル家の財政が危ないなんて話、誰からも聞いていない。
「ヘイデン、お前も負けてられないぞ!」
ダニエルが笑いながら拳を僕の腕にぶち込んだ。酔ってるから、そこそこ痛い。
「チェロばかり弾いてないで女の体も弄らないとな!」
「ダニエル! ご婦人がいるんだ、口を慎め」
「なんだよジョシュア。ああ、失礼。ノリス子爵。……先を越された腰抜け野郎め!」
完全に出来上がっているダニエルも、ジョシュアにとっては可愛い弟分だった。ジョシュアは溜息をつくとノーマに丁寧に詫びた。
「悪い奴じゃないんだ。ここでの夏はいつもお祭り騒ぎで、今年は特に嬉しい事がったから燥いでる。本当に君を歓迎しているんだ。気を悪くしないでもらえたらいいけど……」
「大丈夫です。賑やかな殿方には慣れています」
「よかった」
ジョシュアがほっとしたのも束の間、キャロルが爆弾を落とした。
「ふん。炭鉱夫なんかと兄を一緒にしないで。伯爵家の令息よ」
「キャロル……」
ジョシュアが苦悶している。
「そんなつもりではありませんでした。キャロル様、申し訳ありません」
「おい、キャロル。彼女はチャーリーの奥方になる大富豪のお嬢様だ。そんな口の利き方はよせ。謝らせるなんて以ての外だ。だってうちより金持ちだ! アハッ!」
「……」
キャロルが兄ダニエルに殺気を向けた。
僕はジョシュアと同時に溜息をついて、目で語り合う。血の気の多いグランヴィル兄妹は毎年なにかしら事件を起こすのだ。今年は、キャロルに要注意。
「今からチャーリーには媚びを売っておかなきゃな。破産したら養ってもらう」
「お兄様、やめて」
「キャロル。兄の命令だ。ノーマ様に敬礼!!」
「……」
キャロルの殺気は、天井知らずだ。
無理もない。ずっと片想いしてきた幼馴染が、婚約者を連れて来たのだから。
「お金で爵位を買った成金じゃない! 男爵でもなんでもないわ!!」
言ってしまったか。
「薄汚い炭鉱夫の娘のくせに偉そうに座ってんじゃないわよ!!」
パイは投げられた。
さすがのダニエルも目を丸くして歯を食いしばる。
凍りついた空気を打ち破ったのはノーマだった。声をあげて笑いだしたのだ。ベネディクトにも負けないあどけなさを炸裂させて、無邪気に口を開けて笑っている。
「下品ね」
キャロルはまだ言う。でもノーマは、爆笑していた。
それが初めて見たノーマの素顔だった。兄は隣で、耐えているようだった。
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