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エミは謝られるのが嫌いだ。
謝られて、「いいよ」と言えるようなことなら、そもそも謝ってもらう必要ないし、謝ってもらっても、許せないものは許せない。
だから、娘のサクラが小学校で、同級生に叩かれて転び、怪我をしたとき、担任から
「A君もごめんなさいとあやまってますし、握手して仲直りしましたので」
と、説明を受けて
内心では
(自分を殴ったその手を握って握手って、私なら、吐きそうになるけどな)
と、思ったが、とうの娘は初めての保健室に舞い上がってはしゃいでいたので、余計なことは言わなかった。
でも、一番嫌いな『ごめん』がこういう『ごめん』である。
「ごめん。大丈夫?」
「うん...いいよ」
という言葉を引き出すための「ごめん」。
世の中は、優しい人で溢れているらしく
謝られたら 許すのが好い人で、許せないといったら、心がせまいとおもわれかねない。
二番目に嫌いな『ごめん』は話を終わらせるための『ごめん』である。
気難しい親に育てられたせいか、サクラは子どものくせに、変に大人びている。
エミと喧嘩したときも
「うん。わかったよ。ごめん」
と、サクラがおれることが多い。
そして、その「ごめん」が大人のエミの気にくわない。
「本当は悪いって思ってないよね。それは話を終わらせるための『ごめん』でしょ。そんなずるい使い方するんじゃない」
と、余計に怒る。端からみたら、いちゃもんでしかない。
三番目に嫌いな、というか苦手なのが口癖の『ごめん』である。本人に悪気がないのはわかるのだが
「~~さん」と、呼んだだけで
「ごめん。なんだった?」と答えたり
差し入れをだすときも
「ごめん。これ、食べて」
と、言われるのが続くと
(私そんなに怖い?)と、おもってしまう。まあ、怖くないとも言い切れないのだが。
そんな面倒くさいエミの結婚生活が何年も続いているのは、夫のヒロムが「おはよう」「ただいま」「ありがとう」「ごめん」を一切 言わない人物だからだろう。
「ありがとう」と言われるのもエミにはプレッシャーになるのだ。
70%の作業に「ありがとう」と言われれば、申し訳ない気持ちになるし、100%の力をだして「ありがとう」と言われたら、次は120%の力をださねばならないという強迫観念にかられる。仕事や学習でなら、それはよい事なのかもしれないが、日常生活で、そんなに頑張っていたら、疲れてしまうだろう。
評価されない緩い居心地のよさというのもあるのだ。
ペットの癒しに似ているかもしれない。
エミ自身は言われるのは苦手なくせに、自分では社会に出たとき「ごめんなさい」も「ありがとう」も言いまくっている。だって、それで社会人として円滑にいくときもあるから。
なので、
「僕は一度もあやまったことない。あやまるような悪いことしたことないから」
と、ウソぶく夫をちょっと羨ましいと思ってしまうときがある。
そんな強気な夫が、あるとき心筋梗塞で緊急入院することになった。これまで自分は丈夫だと言い張っていたのに。かなり厳しい状態だった。
ICUで、医師の説明をうけたあと、苦しそうにしていた夫が少し酸素マスクをずらして、エミにむかって
「ごめん。」
とつぶやいた。
なんだよ。なんのごめんだよ。初めての「ごめん」をこんなとこで言うなよ。自分の身体がしんどいときに私のことなんか気にするなよ。泣きそうになるじゃないか。
もっと、ずっと100歳ぐらいまで、ずっと私に尽くしてくれよ。
こんな 染みる「ごめん」をきいたのは初めてだ と、エミは涙を拭った。
幸い、夫の手術もリハビリも無事終わった。
今はエミのとなりで塩分表示を確認して食料品を物色しながら、煙草を辞めて少し大きくなった腹回りをさすっている。
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