13 許さないでいい

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13 許さないでいい

「この阿婆擦れめ! よくも裏切りやがったな!!」  法廷に入るなり夫はそう叫んだ。    獄中暮らしも月を跨ぎ、夫はすっかり心だけでなく体も卑しく汚れ、痩せ細ってしまっていた。殺人未遂で捕らえられた夫は、保釈金が出ないために既に一般の囚人として大勢と過酷な日々を過ごしているらしい。  生まれつき貴族として悠々自適に暮らし、働きもせず財産を使い尽くそうとしていた人間にとっては、それは耐えがたい日々だろうと思う。  暗く沈んだ眼窩の奥から、私を見つめる、熱い怨嗟の目。  なぜ夫がああなってしまったのか、私にはわからない。  夫の事など、本当は、なにも知らないのかもしれない。 「静粛に」  判事が諫める。  鎖に繋がれた囚人服の夫は、私を睨みつけたまま席についた。  悲しい。  胸に静かな悲しみが広がって、祈らずにはいられない。  こんな醜い私たちから、天使が生まれて来てくれた。  もう天国へ帰ってしまったあの子は、きっと、まだ、こんなになってしまっていても父親を愛しているのだろう。 「私はいい妻ではありませんでした。子供を病で失い、家の事も夫の事も考えられず、内に篭り現実から逃げていました。私たち夫婦はもうずっと前から破綻していました」 「あの女は妻であるのをいい事に、勝手に家の金をばら撒いて使用人まで他所へやったんです。本当ならとっくに釈放されていいはずなのに。これはあの女の陰謀です。離婚には応じるわけがありません。私をこの状況から救い出し、誠心誠意詫びて、私に尽くし生きるのがあの女の使命だからです!」  夫は離婚を断固として認めなかった。  けれど、私たちが終わっているのは、誰の目にも明らかだった。  この裁判で離婚は成立し、私はやっと、ひとりになった。  清々しかった。  私はあの子を忘れろとまで言って、あの子の服を破いて揺り籠を破壊したデルフィーノ・ダニオ・セミナーティという男を、まだ許せない。  けれど、憎しみは、手放す事ができた。  それは母親としていつもあの子との思い出を優しい気持ちで辿り、大切に抱いて、祈っていたいから。  そして私には、愛すべき人たちとの人生がまだ残っているから。  私が破滅させたという言掛りをつけて恨むなら、それでいい。  許さなくていい。  それはもう、私の問題ではないのだ。  あの男は、檻から出てこない。  ただあの子の父親として、安らかであってほしいと願うだけ。  それだけだ。
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