14 些細な祈り

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14 些細な祈り

 それは裁判のあとひとつ季節を跨いだ、秋の半ば頃だった。  彼が私の前に跪き、恭しく私の手を掬い上げ、手の甲に口づける。  それはその都度ときめきを齎してくれるものの、私たちの間では珍しくない挨拶のひとつになっていた。  だから私も、窓から吹き込む少し冷たい風を感じながら、内心、乙女のようにときめいて、彼に見惚れていたのだ。 「ミネルヴァ」 「ええ」 「結婚してください」  祈るように、彼は長く手の甲に唇を押し付け、返事を待った。  答えは決まっていた。  でも、息ができなくて、私は口をパクパクさせて喘いだ。  こんな幸せが、私に、あっていいのか。  私は一生、あの子を偲んで、愛して、それで…… 「愛しています。ミネルヴァ。ずっと、愛していました」 「あ……」  私のためではない。  愛すべき人のために生きてみたい。  彼への感謝と愛はあまりにも大きく膨れあがり、絶大な力となって私を突き動かした。 「私も、あなたを愛しています」 「ミネルヴァ……!」 「これからもっと、あなたを、愛せるようになると思います」 「では……!?」 「求婚を、お受けします。今度こそ」  彼は性急に私の手を握り直し、そしてこの約束を反故にされないうちにとでも言うように、素早く私の指に指輪をはめた。  美しい、そして彼らしい豪胆な、ガーネット。  でも燃えるように赤い、命の色。 「あなたをもう、死んでも離さない」 「もっと早くこうしていたら、私、あなたに……」  苦労をかけなかったのに、というような旨の事をなぜか言おうと思ったのだけれど、立ち上がった彼に抱きすくめられて、深いキスで口を塞がれてしまって、無意味な言葉は結局どこかへ行ってしまった。  私たちは見つめあい、抱きあい、熱く甘い夜を迎えた。  翌朝ほとんど裸のような恰好で彼に抱かれ、寄り添いながら、ベッドで微睡んでいるときに彼は打ち明けてくれた。長い指が愛しそうに私の頬をなぞっていた。 「何度でも求婚すると決意していました。でも、できれば3回目がないといいと祈っていた」  その言い方がなんだか可愛いように思えて、私はくすりと笑ってから彼にしがみついて甘えた。彼は私の髪に指を埋めて、大きな手で頭を抱え、額にキスしながら続ける。 「今となっては些細な祈りと信じたい」 「大丈夫よ」  私が彼を信じられるように、彼も私が消えてなくならない事を信じてくれたらいいのに。そう思うものの、原因は私なので、なんとか安心してもらえるような証がないか考えていたら、いいか悪いか、秘密を打ち明ける事になってしまった。 「少し前から、夢を見るの」  どんな、と。  彼は私を優しく撫でてキスしながら低く尋ねる。  あたたかさ心地よさ、それに甘く深い幸福に微睡んで、私は目を閉じた。 「あなたがあの子──フィロメーナをあやしているの。大きな手に、小さなあの子がすっぽりと収まって、手足を動かして、なんだか楽しそうにしてた。あなたの娘みたいだった」  自然と涙が零れた。  湿っぽくしようと思ったわけではないのにと少しだけ後悔したけれど、彼はそっと涙を拭い、優しくて確かな力で抱きしめてくれた。 「あなたの天使の、父親になれたら……俺は嬉しい。なりたいです」  ああ、この人は、フィロメーナを愛してくれたのだ。  僅かばかりに残っていた罪悪感が溶けて消えた。  彼と歩んでいく人生の中にも、あの子はちゃんと、存在し続ける。  愛され続ける。  私たちは愛に結ばれたのだから。  この絆は、もう解けない。                               (終)
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