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「そうか……いるのか」
「健太君さ、彼女いないって言ってたじゃん?」
「まぁ、そうだね」
「好きな子も、今いないの?」
健太は言葉に詰まった。好きな子は、いる。しかも、目の前に。だが、それを明かしてしまった瞬間、世界が壊れてしまうような気もしている。なにせ仁美には、好きな相手がいるのだ。
「私だって教えたんだから、教えてくれたっていいでしょ?」
仁美は少しむくれた表情を見せる。雨音はまだ続いている。この場を逃げ出せる状況ではない。
ーーもうこうなったら、行けるところまで行くしかない。
健太は、腹を括った。
「そうだな。いるよ」
健太はそう告げた。
「……そうなんだ」
「どんな人か、聞きたい」
「…………うん」
仁美が返事をする声のトーンが少しだけ落ちた。
「ええとね。隣に座っているだけでとっても癒される人だよ。でもそれだけじゃなくて、頭がとっても切れる人。情けない話だけど、僕はとっても頼りにしてるんだ」
「へぇ。素敵な人」
仁美が相槌を打ったところで、健太は意を決した。
「その子と隣の席になれたことを、僕は今本当によかったと思ってるんだよ」
直球を投げられない健太が投げた、精一杯の球だった。仁美は暫く黙りこくった後、口を開く。
「私も、言っていいよね」
健太の返事を待たずして、仁美は言葉を続ける。
「私の好きな人はね、とっても水泳が速くて、おそらく来年にはブロック大会にも出られるようなレベルの人。だけどそこよりもね、その人の内面が好き。水泳にも、自分にも、そして女の子にも誠実な、でもちょーっとだけ不器用なところ。私もね、凄いところが沢山あって、ちょっと残念なところがある彼と隣の席になって、すごく嬉しい」
今まで健太と話すときにしっかり目を合わせていた仁美だったが、今回はずっと目を逸らせていた。
「それって……僕のこと、かな?」
「それより先に答えてよ。さっきの人って、私のことでいいの?」
健太は、首を縦に振った。
「あのさ……」
健太は立ち上がり、そう言う。
「どうしたの?」
「僕と、付き合って貰えませんか?」
健太の問いかけに、仁美は顔を綻ばせた。
「あのさ、折角だから、彫らない?ほら、ボールペンだったらあるからさ」
「彫るって?」
「決まってるでしょ?相合傘!」
仁美は満面の笑顔でそう答えながら、壁に彫られた数々の相合傘を指さした。
「なんか、恥ずかしいな。それに、見つかったら怒られないか?」
健太はバツが悪いような顔でそう告げるが、仁美はどこ吹く風だ。
「いいじゃん。ご利益、絶対あると思うよ。それにさ……」
仁美は相合傘を見つめながら、続けた。
「簡単には怒られないと思うな」
仁美がそう言った瞬間、健太は仁美が見ていた相合傘に視線を合わせた。
「……そうだな。ご利益、信じてみるか」
こうして2人は、頭にハートがついた相合傘を小さく、壁に刻んだ。ケンタとヒトミという片仮名で刻まれた名前が仲睦まじそうに一つの傘下に入っていった。
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