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「ふぅ……」
午後4時過ぎのこと。掃除当番の役目を終えた高井健太は軽くため息をつくと荷物をまとめ、男子更衣室の鍵を手に取った。ドアを開けるとジィジィと蝉の大合唱が耳を貫いてきて、肌からは一気に汗が噴き出してくる。健太は水泳部に所属する中学2年生だ。健太達水泳部員は9月の中旬に行われる新人戦に向けて日々猛練習を重ねている。今日のメイン練習のプログラムは200m個人メドレー4本を3セット。3分30秒サークルという中学生にしてはややきつめのインターバルでこなすスタミナタイプのメニューだったこともあり、腕にはすでに心地よい筋肉痛を覚えている。健太は男子更衣室のドアを閉め、鍵穴に鍵を差し込んだ。
「健太君!お疲れ!」
隣から声が聞こえてくる。声の主は並川仁美だった。仁美は女子水泳部員でありクラスメイト。6月にあった席替えのくじ引きでは健太の隣の席になった。健太の中学生活は水泳一筋。お世辞にも勉学熱心とはいえない健太のことを、仁美が授業中いつもサポートしてくれている。
「お、おう。今日は並川が女子の当番だったのか?」
「うん。今掃除終わったから、これから鍵を返しに行こうかなって。一緒に行く?」
「あぁ、そうだな」
健太はそう答えると、裏門へと向かっていった。
「でもさぁ、ホントにこの鍵を返しに行くルートって面倒だよなぁ」
ギラギラと照りつける太陽は雲に身を隠したが、それでも蒸し暑い感覚は残っている。健太は汗を拭いながらそうぼやいた。
「そうね。鍵を返すのは裏門なのに自転車置き場は正門前にあるわけだからね。面倒だよね」
仁美はそう相槌を打ちつつ、裏門へと向かっていった。
「はい。プールの男子更衣室と女子更衣室ね」
健太と仁美が鍵を渡すと、事務員はそう言ってバインダーに4時12分と時刻を記入した。
「じゃあ、帰ろうか」
仁美が健太にそう言うと、健太は無言で頷いた。
2人が更衣室の近くまで引き返してきた頃、太陽を覆い隠した雲は徐々に徐々に黒みを増してきていた。それとともに風が強くなり始めている。
「なんか、変だね」
仁美がそう言うと、健太も頷いた。そのとき健太の手のひらにぽつりと雨粒が落ちてきた。雨粒はひとつ、またひとつと増えていき、あっという間にバケツをひっくり返したような勢いへと変わっていった。
「これはやばい。雨宿りしよう」
健太はそう叫び、更衣室の前にある軒下へ仁美と一緒に駆け込んでいった。
風が強さを増し、横殴りになってくる雨を前に、自転車通学の2人はなす術がない。かといって、軒下にずっといてもこの状況では完全に雨が防げる訳でもなかった。
「どうしようか?」
仁美が困った顔で尋ねた。健太は少し考え込んだのち、
「そうだ!」
と言いながら顔を上げた。
「どうしたの?」
「今の用具室の鍵って、ナンバー式の南京錠だったよな?」
「そうだよ」
「じゃあさ、そこで雨宿りしないか?少し暗いかも知れないけど」
「あ、それいいかもね。番号は私も知ってるし」
「……何番だったっけ?」
「もう、ちゃんと覚えててよ。0630。野呂先生が自分の誕生日を番号にしてるんだから」
「野呂の誕生日か……」
少しだけ健太は顔をしかめた。野呂大助は男子水泳部の顧問であり、健太のクラスの数学を担当している。もともと水泳部に所属しており県大会出場の実績もある野呂は水泳部の顧問としても十分厳しい教師だ。だが数学教師としての野呂はそれを上回る。健太にとってまさしく「鬼」だ。前回の期末テストでは50点という合格ラインに到達したのがクラスでわずか9人で、学年でも再テストを受けなかった人の方が少ないという珍しい事態が起こっていた。
「まぁいいや、開けよう」
健太はそう言い、南京錠に手をかけた。ガチャリという鈍い音を立てて錠前が開くと、重い鉄の扉が前へと開いた。
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