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説明を聞き終えたエヴァンシュカは、深く頷きました。その表情は得心がいったというような、清々しいものです。
「そうだったんですのね……道理でジョーが、ハイド……アデルお姉さまと、幼い頃に会った事があると――わたくしが生まれる前の話ですから、知る由もありませんわ」
「ただ「アデル」って名前は聞かされてなかったし、昔見た「お姉さん」と「ハイドさん」じゃあ全然違うから……なかなか気付けなかったッスよ。」
「――わたくしは、ジョーの笑顔を見てようやく見覚えがあるなと思う程度でした。本当に素晴らしい記憶力ですね、感心いたしますよ」
「でも、俺の名前を聞いたらすぐに思い出してくれたんじゃあねえッスか?」
ジョーの問いかけに、わたくしは頷きました。そして困惑しているエヴァンシュカを一瞥してから、ジョーに提案します。
「ルディにも貴方の名前を教えてあげて下さい。スノウアシスタントだと告げた今ならば構わないでしょう」
「あ、そっか。……へへー、ルディ聞きたいッスか?」
「え!? えっ、ええ、そうですわね、「ジョー」は愛称だと仰っていましたものね……それはもちろん、聞きたいですわ」
真剣な眼差しで答えたエヴァンシュカに、ジョーはとろりと目元を緩ませて笑いました。
「俺の名前、「雪之丞」っていうんスよ」
「ユキ、ノ、ジョー?」
「あー、やっぱ発音しづらいかー。黄金郷で雪はそのままスノウ、丞は……「助ける」とか「補佐する」って意味があるからアシスタント。それでスノウアシスタントって名前を作ったって訳。――そのままで分かりやすいっしょ?」
「ユキ、ノジョー……ユキノジョウ……んん、たしかに難しいですけれど……でも、これから何回も呼べば、きっと口に馴染むと思いますわ」
「――じゃあ毎日呼んでくれる?」
「毎日? ええ、もちろん喜んで」
ジョー……いえ、雪之丞が首を傾げれば、エヴァンシュカは迷うことなく頷きました。
軽くプロポーズのような言葉でしたが、この天然王女様はちゃんと理解できているのでしょうか……まあ理解も何も、コレが初めてのプロポーズという訳でもありませんものね。
以前雪之丞はハッキリと「男爵位を買ったら嫁に来てくれるか」と口にしましたし。
そんなお2人を微笑ましいなと思いながら眺めていると、途端にエヴァンシュカが立ち上がります。
そしてもじもじと恥ずかしそうに手遊びをしていたかと思うと、バッと雪之丞に向かって片手を差し出しました。
「――そっ、それは、それとして……! あ、ああ、握手をしてくださいませっスノウアシスタント先生……ッ!!」
「…………うぉあー、そうくるッスかー……俺、ファンと直接交流すんの初めてッスわー……」
「ふあぁあ! はっ、ハイド! いえっ、アデルお姉さま!? わ、わたくし今! スノウアシスタント先生と握手しておりますの! 見えますか!?」
「ええ、見えますよ。良かったですね」
「ふぁい……!! も、もう何も思い残すことはございませんわ、ずっと先生と握手がしたかったんですの……! ――あっ、いや、嘘ですわ! まだ「追放された訳アリ王女様は、追手の黒騎士に溺愛されています!?」のラストを見届けていませんものね……!?」
「うーん、何かソレ持ち出されるとちょっと気まずいな……俺が書いてるって知られてなかったからこそ、好き放題書けてたんスけど……」
握手したまま気恥ずかしそうに頬をかく雪之丞と、舞い上がりっ放しのエヴァンシュカ。
良いですね、この光景こそわたくしが求めたエヴァンシュカの幸福なのかも知れません。
わたくしは、椅子に座ったままぽかんと呆けていらっしゃるカレンデュラ伯爵令嬢に声を掛けました。
「――と、いう事で……以上の観点から、わたくしは伯爵令嬢の旦那にはなれません。あしからず」
その言葉でハッと我に返ったらしいご令嬢は、ぷるぷると体を震わせ始めます。
わたくしの性別が女性であった事から始まり、雪之丞とわたくしが転生者であるとか、スノウアシスタントの正体だとか……色々な事を聞かせ過ぎましたからね。きっと混乱している事でしょう。
彼女はややあってから勢いよく立ち上がると、サロンを退室なさるつもりなのか、ズンズンと大股で入口の扉まで歩いて行ってしまわれました。
――やはり、若い娘さんの恋心を弄んだのはさすがにまずかったでしょうか。
彼女は一応エヴァンシュカのご友人ですものね……もう少し気を遣うべきだったかも知れません。
じゃれ合っていたエヴァンシュカと雪之丞も、カレンデュラ伯爵令嬢の背を見つめて口を噤みました。
そうして3人で彼女の背を見送っていると、ご令嬢は入り口の扉の前でくるりと踵を返します。そうしていつものようにビシリとわたくしを指差し確認なされると、割れんばかりの大声を張り上げました。
「――――――――って言うかこの際 女でも良いかなってぐらいハイドが好きだし! 私の事真剣に叱ってくれるのアンタだけなんだから!! ……もう諦められそうにないし、覚悟しなさいよ、まだまだ付き纏ってやるんだからねー!!」
その宣言が響き渡ると、サロン内がしん……と静まり返りました。
わたくしもまさか、彼女がここまで愉快なご令嬢であるとは思いもよらず――つい初動が遅れてしまいましたね。
「……そんな、困りますお客様」
「お客様じゃなくてアレッサ様! いいえ、ヒロイン様よ!! 今に見てなさい、私これから勉強してハイドランジアの官僚になって、この国の法律を変えてやるんだから……! そしたら、いの一番に同性婚を合法化してやる!! 覚えてなさいよー!!!」
カレンデュラ伯爵令嬢は一方的に捲し立てると、バン! と扉を開いてサロンから出て行きました。
……あの方、本当に――最後の最後まで傲慢というか、自己中心的というか……わたくしの意見ガン無視でございますね。
雪之丞はすっかりツボに入ったのか腹を抱えて爆笑していますし、入り口に佇んでいた侍女のアメリも口元に手を当てて震えています。
エヴァンシュカなんて彼が好きなくせに「アリーはダメ! 法律が改正されるなら、わたくしがアデルお姉さまと結婚いたしますわ!」なんて切羽詰まった声を上げていますし――そもそもわたくし達、母親は違えど血縁者なんですが――……全く、何なんでしょうね、この子達は。
皆さん本当に可愛らしくて好ましいのですが……ええ、ひとまずカレンデュラ伯爵令嬢手からは、全力で逃げさせていただこうかと思います。
わたくし「絵本の騎士」の役目が終わったばかりなのに、まだしばらく隠居できないようですね。
まあ、楽しければそれで良いのですけれど……「騎士」の次は、何を演じて遊びましょうか。――まだまだ人生これからですからね。
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