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わたくしまだ一度しか絵本を読み聞かせていただいていないので、正直ちゃんとした字が書けるかどうか不安でしたわ。
それに頭では理解していても、実際に体が動くか――美しい字が思うように書けるかどうかも分かりません。何せこれは、わたくしが人生で初めて書く文字ですもの。
それでもわたくしは必死にアデルお姉さまの文字を思い返しながら、契約書を書き進めました。
・エヴァンシュカ・リアイス・トゥルーデル・フォン・ハイドランジアは20歳の誕生日を迎えるまでに自力で結婚相手を決めます。
・期間内に達成できなかった場合はお父さまに薦められた殿方と問答無用で結婚します。
・だから20歳までは自由恋愛を許可してください。
――――こ、こんなもので良いかしら……いえ、本当に平気? 他に何か付け加えるべき文面はない?
そうして熟考しながら書面を睨みつけていると、パタンと絵本が閉じられる音が聞こえましたわ。
顔を上げれば、難しい顔をしたお父さまと目が合いました。
「ルディ……これは……さすがにこんな「出来た」男は世の中に存在せん。無理じゃて……「ワシの娘、夢見すぎ問題」が発生じゃ……」
「そ、そんなことはございませんわ! 世界はとっても広いのですから探せば1人や2人、いえ3人くらい見つかるはずです!」
「おらんおらん! 顔よし、体格よし、強さよし。常に笑顔を絶やさず、そして優しく誠実で、時にワガママ放題の姫を諫めることも忘れずに、やる事なす事全てが人並み以上の結果を生む。大層モテくさるくせに浮気ひとつせず、愛する姫だけを一途に想い続ける……おるかそんな男! 仮におったとして、ハーレム王にしかならんわ! ハーレム築かん方が逆にキモいて!!」
お父さまの言葉に、わたくしは改めて「なんて素敵な殿方なのかしら」とうっとりとして――。
――あら? お姉さまからいただいた絵本ってそんなに詳細な描写がされていたかしら?
疑問に思ってお父さまの手元にある本を見やれば、それはどうも、先ほど読み聞かせていただいた絵本とは違うもののようでした。
よくよく見れば表装の色ももっと濃い桃色。
あ……あれは「教則本その2」に違いありませんわ!! 何てこと! わたくしまだその2を読んでおりませんのに、お父さまに騎士の全てをネタバレされてしまいましたわ……!!
わたくしの誕生日にこんなことがあって良いのかしら?! こんなのっておかしいわ、酷すぎます!!
「……アデルお姉さま! お父さまがいじめる!!」
「ええ、最低のクソ野郎ですね、キモいのはお前の方だと言っておやりなさい」
「お前マジでええ加減にせんかアデル この不敬の塊王女めが!! 確かにお前にルディの教育係を任せたのはワシじゃ、しかし要らんことを覚えさせるな!」
「可愛い妹に夢を与えて何が悪いのですか」
「夢を与えすぎなんじゃお前は! ルディをメルヘンの国へ連れて行くな、一生「絵本の騎士」を求めて独身を貫いたらどうする? 誰が可愛いルディを看取るんじゃ!!」
「はあ、まあ末妹ですからね。……陛下がもうちょっと頑張って更に妹か弟を増やすという手もアリだとは思いますが」
「バッ、ルディの前で変なこと言うのやめんか! もう帰れお前! お前だけ帰れ!」
アデルお姉さまはわたくしを軽々抱き上げると、優しく背中を叩いてくださいます。
これ以上絵本の内容を暴露される前に、一刻も早くお部屋に戻りたいわ。
誰よりも早く絵本の中の騎士を知るのは、わたくしでなければいけませんの。
わたくしはもう護衛騎士の許可が下りないことよりも、楽しみにしていた絵本の続きを暴露されたことの方が悲しくてメソメソ泣きましたわ。
アデルお姉さまの首筋にギューッと抱き着くと、長い灰銀色の髪から薔薇のような甘い香りがします。それはとても落ち着く香りで、自分でも少しずつ嗚咽が小さくなっていくのを感じましたわ。
そうしてお姉さまにくっついていると、かさりと紙が揺れる音が聞こえてきました。
顔を上げれば、お姉さまはわたくしが書き上げた契約書をお父さまへ手渡しています。
「――陛下、こちらをご覧ください」
「も~~~~次は何じゃ……契約書? アデルお前、こんなもの用意してまでルディをメルヘンの国へ……」
「わたくしが書いたものではございませんよ」
「は? しかしこの筆跡はアデルによく似……いや? 言われてみれば癖が違うか……?」
わたくしが見て覚えたのがアデルお姉さま直筆の文字だったせいか、お父さまはわたくしが書いた契約書をお姉さまが書いたものだと勘違いなされたようですわ。
けれどもじっと注意深く見ると手癖が違うと気付かれたのか、不思議そうに首を傾げておられます。
「ルディが書いたんです」
「………………いやいやいや、まだ文字の読み書きは―――」
「絵本を一度読み聞かせただけで覚えてしまったんですよ、つい先ほど」
「何!? さ、さすがワシとロゼのルディ、賢い……! 愛いのう、愛いのう……!! ――ハッ、つ、つまりこの契約書はアレか? ルディが生まれて初めて書いた文字になる訳じゃな!? この世に最初で最後の一点ものじゃあ!!」
お父さまは先ほどまでの不機嫌などなかったかのように満面の笑みを浮かべられましたわ。
わたくしの書いた契約書を灯りに透かすように掲げたかと思えば、扉の前に控えていた執事長に「はよ額縁持って来んか! 最上級の額縁を!」と命じられましたの。
――けれどもアデルお姉さまはすかさず執事長を引き留めて、首を横に振りましたわ。
「……いや返してください、見せただけなんで」
「…………はっ!? 何でじゃ、ワシ父親ぞ!? くれても良いじゃろう!」
「だって契約、結ばないでしょう。「絵本の騎士」を探すのも護衛騎士をつけるのも自由恋愛も何もかも却下なんですよね、じゃあそんなもの持っていたって仕方がないじゃありませんか」
「うぐっ……!」
「わたくしが文字を教えて書けるようになった第一作目なんですよ、わたくしの功績あっての作品です。所有権は陛下にではなくわたくしにあるのではありませんか? ……陛下が契約を結ばれると仰るならば、控えとしてそのままお持ちいただいて結構ですけど」
「うぐぐっ……!! アデルお前、謀りおったな……!? こんな……こんなの、欲しいに決まっておろう! ワシあとでロゼに自慢しちゃうもんね……!!」
「謀っていません、陛下が1人で勝手に盛り上がっておられるだけです。……ああ、契約を結ぶなら押印しなければなりませんね……でもまだルディは印章をもっていませんし……ウサギさんの絵でも描いておきますか?」
アデルお姉さまはやっぱり凄いですわ! あんなにも嫌がっていたお父さまをいとも簡単に説き伏せてしまいました。
わたくしはお姉さまに下ろしてくださるようお願いして、お父さまの元まで駆けて行きましたわ。
お父さまはわたくしに万年筆と契約書を渡して、「可愛いウサギさんが良いのう」と優しく笑っております。
――お2人共、わたくしが赤ちゃんだからと気を遣ってくださるのでしょうけれど、ちゃんと知っておりますのよ。
正式な契約書というものは、実印がなければ効力を発揮しないということくらい。実印がない場合には……血判を押すしかないということも!
受け取ったばかりの万年筆を自身の親指の腹に突き刺せば、ニコニコ顔だったお父さまが「ッアァ゛ーーーーーーーーーーー!!!! 医者ーーーーーーーー!!!!!!」と絶叫を上げました。
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