一夜の過ち

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その音を合図に、クロエさんはゆっくりと口を開く。 「茉莉香に似た唇の形をしてる。 ――昨日、オレにそう言ったよね」 冷ややかな眼をして言い放たれた言葉に、脈が早くなる。 「なんで、クロエさんがその名前を……」 クロエさんは質問に答えず、ライターの入ったポケットと反対側のポケットから、ハイヒールのソールのように尖った、赤と黒のグラデーションのパッケージの口紅を取り出す。 あずささんが忘れて言った口紅。 「こうすると、もっと似てる? 茉莉香ちゃんの唇に」 そう言って、クロエさんは口紅のキャップを外し、無造作に自分の唇に塗っていった。 やや厚い唇が、毒のように深く、赤く染まる。 「茉莉香ちゃんは、こういう色は塗らないか。 サーモンピンクとか、そういうイメージ……」 クロエさんが乱暴に手の甲で唇を(ぬぐ)うと、右の頬に赤い一筋の()が描かれた。 蒼白い肌の上で、それは哀しいくらい鮮やかで、そのコントラストに魅入ってしまう。 クロエさんはガラス細工に触れるように俺の人差し指を取り、赤い唇をゆっくりとなぞらせた。 冷たそうな唇は生温かく、気づくとその形を辿るように、自分から指を動かしていた。 ずっと触れたかった唇に、よく似た唇。 「泣いちゃうくらい、想ってたの?」 そう言われて、涙が頬を伝っていることに気がついた。 昨日はバイトのドタキャンだけじゃなかった。 知らない男の隣で、見たことのない顔で笑う茉莉香を見てしまう、最低な一日だった。
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