真実の愛があればっ!

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 私の息子はとても残念だ。 「だから母上。私は真実の愛に目覚めたのですっ!」  いたく真剣な顔をして私に訴えかける息子ヴェリテ、二十歳。私に似て素晴らしい美貌で、その周囲を彩るやや癖の強い金の髪は獅子のたてがみのようだ。しかも父親譲りで文武両道。これだけ見たら、素晴らしい王子だ。  だけどいかんせん、性格が。王子の自覚がないというか、夢みるお花畑と言おうか。いつかこう来るのではないかと恐れていたけど、本当に来た。  彼には非のうちどころのない婚約者がいるというのに、他の令嬢に入れあげて「真実の愛に目覚めた」なんてほざいている。婚約は解消して、その令嬢と結婚したいのだそうだ。  バカか!  お前が愛おしそうに手を握りしめているその娘、トゥーボン男爵令嬢レジェは母親界隈では有名だ。尻軽で!  少しでも身分の高い青年と結婚しようと、庇護欲をそそる己の容姿と豊満なバストを最大限に利用して、めぼしいターゲットに尻をふりふりしている娘なのだ。  こんなあからさまな尻軽なのに、いや、だからこそなのか、純粋培養の真面目な青年ほど引っ掛かってしまうらしい。  だからといって婚約者がいるのに落とされるなんて、我が息子ながら残念すぎる。 「妃よ」  その残念な父親、国王であり私の夫であるエンゾが笑みを私に向ける。 「よいではないか、認めてやろう。婚約者のオレリアには我々夫婦で誠心誠意、謝罪すればよい」 「ですが」 「ヴェリテは第七王子。王になることもない。好きにさせてやろう。何より」とエンゾは照れ顔になった。「私たちが恋に落ちたときとまるで同じではないか」  いいえ違います、という否定の言葉をなんとか飲み込む。  エンゾと私が出会ったのは彼が最初の妻を病で亡くしたあとで、そのときの彼は従妹との再婚が内定していた。  ところがエンゾは、庶民から男爵令嬢にランクアップしたばかりでマナーと常識に疎かった私と二、三、言葉を交わしただけで、恋に落ちた。一方的に。  エンゾ四十歳、私十五歳である。こっちはそんなおじさんに恋なんてしなかった。だってたった二、三言の会話でどうやって恋に落ちるというのだ。私は国王の意に染まぬことをしてはならないという恐怖で、震えていた。  そんな私の手を取りエンゾは大臣たちに宣言をした。 「真実の愛を見つけた。彼女の身分がなんだ、釣り合わなくとも妃に迎える」  この父親にして息子あり。血は争えないらしい。  尻軽が目をうるうるさせながら、私を見つめている。阿呆なヴェリテとエンゾはすっかり騙されて、私が認めるのを待っている。  オレリアのほうが百倍、素晴らしい令嬢なのに。 「分かりました。ヴェリテの好きになさい」  残念息子の顔がパッと明るくなる。 「ならば今夜の舞踏会でオレリアに話します。早いほうがいいでしょう」  ああ。恋に盲目なところだけは父親に似ないでほしかった。  ◇◇  招待客たちの挨拶を受けていたら、残念息子を見失ってしまった。すっかり舞い上がっているヴェリテは、いくら注意をしてもレジェに密着する。あの様子では昨晩あたりに、踏み越えてはならない一線を越えたのだろう。情けないにもほどがある。  能天気父子には、オレリアへのお話はサロンでと言ってあるけれど、多分、聞かないだろう。急いで探さないと。  主要客が途切れたところで、失礼と断り場を離れる。と、第一王子がやって来て、ヴェリテが広間の隅でレジェの腰を抱きながらオレリアと何やら話している、よくない雰囲気だと教えてくれた。  前王妃のお子さまである第一王子は、父親よりずっと常識がある。私の息子もこうであってほしかった。  そちらに行くと、確かに隅ではあるけれどギャラリーがたくさんいる場所で残念息子が喜色満面で、 「……このような訳で、私は真実の愛をみつけてしまったのだ!」  とタイミングよく宣言したところだった。このバカ息子!  オレリアのほうは困ったように、そうですかと頷いている。 「だからオレリアにはすまないが、婚約は解消する。いつか君も真実の愛に巡り会えることを祈っているよ」  ギャラリーの中の青年たちの顔が変わる。一瞬だけハンターの表情をしそれから好青年を装うと、我先にとオレリアに突進した。それはそうだ。オレリアは美しく聡明で気高くしかも優しさに溢れた素晴らしい令嬢なのだ。父親の爵位なんてなくてもモッテモテ。うちの残念息子とは子供のころに婚約させてしまったのだけど、今では死ぬほど申し訳ないと思っている。  と。 「真実の愛だって?」  と、天井のほうから声が降ってきた。  女性のような少年のような甲高い声だ。けっして大きくはないのによく響き、広間は静まりかえった。 「そこの青年は真実の愛に目覚めたか?」  また声がする。お花畑なヴェリテは緩んだ顔で 「その通り!」  と答える。 「『真実の愛』か。かつてもそんなまやかしの前に、なにひとつ落ち度がないのに婚約を無惨に破棄された令嬢がいた。またそれが繰り返されるのか、虫酸が走る!」  ヴェリテたちもギャラリーも天井を見上げてキョロキョロする。だけれど声の主の姿は見えない。 「それ!」  声が何やら気合いを入れた。直後にフロアから煙が上がる。  キャアと悲鳴を上げてレジェがとび跳ねる。煙が上がっているのはヴェリテだ。  あっという間に近衛兵たちが集まってきた。  だけど煙はすぐに晴れた。そこにいたのはひと抱えもある巨大な緑色のいも虫……。  絹を切り裂くような悲鳴が上がりレジェや令嬢、ご夫人たちが逃げ惑う。 「『真実の愛』が大好きなヤツには呪いをかけてやった」と天の声が言う。実に嬉しそうだ。「解くのは簡単。キスをするだけでいい。ただし『真実の愛』がこもったキスだ。義務義理はダメ、報酬付きなどもってのほかだ」 「そうか、それならば簡単だな」  声に返答したのは我が夫、エンゾだった。 「レジェ、さあキスをしてやってくれ。──おや、レジェはどこへ行った」 『真実の愛』が大好きなエンゾが周囲を見渡す。 「こちらに」と声がして、第一王子の長男エクトルがギャラリーをかき分けて進み出て来た。腕にレジェがしがみついている。  エクトルもヴェリテと同じ二十歳。顔は整っているけれど目付きが鋭いので冷たい印象がある。髪も瞳も黒いから華やかさともほど遠い。だけど父親に似て大変優秀な青年だ。同世代の中では群を抜いている。  以前、レジェは彼を攻略しようとしていた。もちろんのことエクトルは落ちなかった。母親界隈では有名な話だ。  そのかつてフラれた相手にわざとらしくしがみついたレジェは、私たち夫妻と目を合わせようとしない。 「可愛いだろう」と声が言う。「揚羽蝶の幼虫だ。ぜひ真実の愛のキスをしてくれ」  ビクリとしてエクトルの後ろに隠れようとするレジェ。 「母上、私はどうなっているのですか?」  残念息子ヴェリテの声がした。いも虫を見るともぞもぞ動いている。──はっきり言って、無気味だ。本物の幼虫サイズならともかく、ひと抱え、中型犬以上大型犬以下くらいのいも虫だ。 「母上!」  はっとする。 「あら、ヴェリテ。話せるの」 「虫の口でどのように喋っているのかしら」とオレリアが呟く。  動じていないらしい。さすが、公爵家の躾は完璧だ。 「母上、手足がおかしいのです。視界も!」 「誰か、鏡を」  国王の言葉に近衛たちがどこからか大きなそれを運んできて、いも虫ヴェリテの前に置く。とたんに上がる悲鳴。 「は、早く戻してくれ。レジェ!」  ヴェリテの悲痛な叫びにレジェはますます隠れた。  エクトルがそれを無理やり自分から剥がして前に押しやる。 「さあ、キスしてやってくれ」  エンゾがさすがに笑みを消して強い口調で言う。だけどレジェはぶるぶる震えているだけ。 「レジェ、レジェ!」  息子が叫びながらもぞもぞと前進する。が、ろくに進まない。  見かねたのか唯一そばに残っていたオレリアが、失礼しますと言ってエクトルを抱き上げた。そうしてレジェにどうぞと差し出した。  ひいっと声を上げて後ずさるレジェ。 「真実の愛はどうしたのだね」  声が楽しそうに言う。 「だ、だってそんな姿じゃ」 「一度のキスで元に戻るのだよ?」 「イヤよ、一度だろうがそんな気持ち悪いいも虫となんて!」  では、とオレリアがヴェリテを私に差し出した。いも虫からうっうっと泣いているような声が聞こえる。 「お可哀想に」とオレリアがいも虫の頭(?)を撫でる。 「ううっ。レジェは真実の愛を私にくれたのではなかったのか」 「真実の愛が永遠とは限らない、ということでしょう」  オレリアがそう言うと、吹き出す音がした。天と、エクトルからだった。 「阿呆者にも優しいオレリアに免じて赦してやるとするか」  声が言い終えるといも虫から煙が上がり、それが消えると人の姿をしていたヴェリテが立っていた。 「ヴェリテさまっ!」  すかさずレジェが走ってくる。それを息子は身を翻してかわすと、オレリアの手を取った。 「目が覚めた。私の伴侶はやはり君しかいない、オレリア」 「まあ」オレリアが小首をかしげる。「殿下の『真実の愛』も永遠ではなかったのですね」  またも吹き出す音。今度はあちこちからだった。クスクス笑いが続く。 「わたくしは殿下のお祈りを無駄にしないよう、真実の愛を探したい所存でございます」 「そんなっ」  と膝から崩れ落ちるヴェリテ。自業自得としか言い様がない。残念息子め。 「それがいい。ヴェリテには失望した。レジェ・トゥーボンにもな」エンゾが冷たく言い放つ。「真実の愛に感動したのに」  いや、あれはどう見ても真実の愛なんかではなかったでしょう!  と指摘したいのを、寸でで飲み込む。エンゾも政治的には優秀だし、夫としては悪くはないのだ。恋愛に夢を見すぎなだけで。  ちらりとエクトルを見ると、彼は冷めた顔で歩み出た。 「陛下。私の新しい婚約のことなのですが」  エクトルもヴェリテと同じように子供のころに婚約をした。相手は隣国の三才年下の王女で、本当ならば今年結婚するはずだった。ところが隣国では王位を巡る争いが起こり、彼女は母親とともにその母国に亡命。婚約は白紙に戻ってしまった。あちらの国はまだ政情が安定しておらず、エクトルの新しい婚約についての話を進められない状況だ。 「他国の王女と婚約すれば、隣国は面白く思わないでしょう。ですが言葉が悪くて申し訳ありませんが、叔父上の尻拭いという形で自国の令嬢と婚約をするのならば、寛容になってくれると思うのです」  エンゾがうなずく。 「実はヴェリテの婚約解消を聞いたとき、わしもそれを真っ先に考えた」 「そうなのですか?」  思わず口をはさむとエンゾは私を見て、しっかりと頷いた。 「オレリアは素晴らしい令嬢だ。絶対に王族に迎えたい。とはいえヴェリテが身勝手をしたあとに、ではエクトルをと押し付けては申し訳ないだろう。だからまずは彼女の意見を聞いてからと考えていたのだ」  オレリアを見る。彼女の白磁のような頬が赤らんでいる。広間の視線を一身に集めて困惑したのか、新展開に喜んでいるのか。──多分、後者だ。 「どうかね。オレリア」  オレリアは膝を曲げ頭を下げた。 「承知致しました」 「嫌ならば嫌と言ってよいのだぞ」 「いえ。……大変に有りがたく、是非ともお受けさせていただきたい所存にございます」 「そうかそうか。良かった。あとは公爵か」  エンゾか辺りを見回す。と、彼女の父親は離れたところで第一王子と並んでこちらを見ていた。ふたり揃って、腕で丸を作る。 「よし、決まりだな。エクトルとオレリアはこれから真実の愛を育んでいってくれ」  オレリアは顔を伏せたままだけれど、耳まで真っ赤だ。少なくともふたり個々には、とっくに育んでいるのだろう。 「ヴェリテ。真実の愛でなかったことは大変に残念だ。だが自分のしたことに責任はとらねばならぬ。レジェと結婚するように」  それからエンゾは天井に顔を向けた。 「さて、声の主よ。どこにおる」  だが返事はない。 「結果として欺瞞の愛を暴いたとはいえ混乱を招き、一時的であれども王子に呪いを掛けたことは見過ごせぬ。兵よ、声の主を引っ捕らえろ!」  広間が騒然となる中で。エクトルがかしこまったままのオレリアに手を差し出した。いつもはきつい目が優しげな眼差しをしている。  一方で我が残念息子は、立ち上がったはもののすっかり項垂れてしまっていた。 「だから」と息子の肩を叩く。「お母さんは、あの娘はやめなさいと言ったでしょう」  ◇◇  声の主はみつからない。舞踏会はお開きになりエンゾはヴェリテに長い説教をくらわしている。  私はひとり、小さなサロンに入った。中には三人の男性。第一王子にオレリアの父である公爵、そしてかつて私を養女に迎えた男爵。  立ち上がった男爵──義父に抱きつく。 「ありがとう、お義父様。素晴らしい魔法だったわ」 「いやいや、私も実に楽しかったよ」と笑う義父。  男爵家は代々宮廷魔術師を務めている、魔法の名門だ。だけど子供に恵まれなくて、魔法の素質があった私を養女に迎えた。だというのにすぐにエンゾに取られてしまったので、義父はいつか一泡吹かせてやりたいと思っていたのだ。だから私がこの計画を打ち明けたとき、ふたつ返事で引き受けてくれたのだった。 「しかし我が娘がエクトル殿下を憎からず思っていたとは。気づかなかったよ」と公爵。 「本当。もし彼女が嫌がったらと心配でしたけど、杞憂でしたね。エクトルさんも、何も知らなかったとは思えないほど完璧なタイミングと振る舞いで。さすがです」  私が言うと私より五歳も年上の第一王子は苦笑した。 「そりゃこんな千載一遇のチャンスを無駄にするようでは『真実の愛』とは言えないからな」  ワハハハと笑いが起きる。 「だがヴェリテは良いのか?レジェは尻軽なだけではなく、頭も軽いぞ」 「私が義母としてみっちりしごきます。息子に手を出したからには、王子妃にふさわしい女性になる覚悟があるはずでしょう?」 「おお、怖い」と義父がわざとらしく肩をすくめる。 「しかしなあ」と第一王子がため息をついた。「今回のことは全て、父の掌の上だったような気がする」  うむと公爵。 「呪い騒動は想定外だっただろうが、ヴェリテ殿下が広間で騒げばエクトル殿下が出てくると読んでいたのではないかな。婚約解消と新婚約の書類が揃って用意されていた」 「父は『真実の愛』が大好きだからな。もしかしたらエクトルの気持ちに気づいていて、オレリアをエクトルの婚約者に円満に変える機会を待っていたのかもしれない」  公爵と義父がうなずいた。  ◇◇  三人との会合から早々に引き上げて、王の執務室に向かう。そこで彼は明日の朝一番で早馬が出せるようにと、隣国にエクトルの婚姻についての手紙を書いていた。 「遅くまでご苦労様です。もう若くないのですから程々になさって下さいね」  私がそう言うと、エンゾは満面の笑みを浮かべた。 「最愛の君にそう言ってもらえるだけで、疲れなぞ吹き飛ぶのだ。愛しいアンジュよ」  エンゾは私の手を取りキスをする。 「大変だろうがレジェの教育を頑張ってくれ。ヴェリテは愚かなことをしてしまったが、これから時間を掛けて真実の夫婦になれると信じている。何しろ君の子供だからな」 「そうですね」  この男の妻になったとき、私には真実の愛なんてなかった。エンゾは何も言わないけれど、本当は気づいていたのだろう。  私より二十五歳も年上なのに、いまだ真実の愛が大好きで、恋愛に関しては頭がお花畑になってしまうダメな国王。  そんな夫の、深いシワがある額に口づけた。
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