5人が本棚に入れています
本棚に追加
家に帰り、俺は喪服を脱ぐよりも先に、バッグから実がくれた手紙を取り出した。少しピンクがかった白い封筒に、何もプリントされていないシンプルな便箋が一枚。俺は椅子に座って、その手紙を読み始めた。
『拝啓 矢田部剛様
仲秋の候、いかがお過ごしでしょうか。
突然のお手紙申し訳ありません。さぞ驚かれたと思います。私は、三五年前にあなたと文通していた佐藤南美と申します。覚えていらっしゃいますでしょうか。もう二つ前の元号の頃のことですから、覚えていなくても無理はありません。何を隠そう、私も実家の掃除をしていた時に、あなたからの手紙を見つけるまでは、忘れていたのですから。
ですが、読んでみて当時の自分は、ずいぶんちっぽけなことで悩んでいたんだなと、懐かしさと気恥ずかしさを感じました。ですが、読み進めているうちに当時のことが思い出されて、なんとも微笑ましい気持ちになりました。
そして、ふと思い立ったのです。矢田部さん、あなたは今何をしているだろうと。
一度考え出すと、どうしても気になり、今回こうして筆を執らせていただきました。遠く時間は経ってしまいましたが、元気でお過ごしでしょうか。お互い息災なら何よりです。乱文失礼いたしました。
敬具』
なぜ今送ってきたのだろう。それが手紙を読んで、最初に抱いた感想だった。ただの中高年の暇つぶしだろうか。
俺は椅子から立ち上がって、机を見やる。封筒の裏面に書かれた住所は、福岡県と書かれていた。便箋に並んだ整然とした字は、俺の返信を求めているように見える。
ただ、純粋な子供だった頃とはもう違う。俺は汚れたおっさんになっているし、向こうも同じように年を重ねているのだ。そんな二人が少年少女のように、手紙で会話する。傍から見たら、気持ち悪がられること間違いなしだ。
俺だって、同じことをしている人間がいたら、いい年こいて何やってるんだと、文句の一つでも言うだろう。
ただ、今の俺は一人暮らしで、仕事以外には人付き合いもほとんどない。つまり誰からも顧みられていない。このままでは孤独死まっしぐらだ。
そう考えると無性に寂しくなって、俺は机から背を向けた。そして、喪服から普段着に着替えて、財布を持って家を出る。
目指すは家から三番目に近いコンビニエンスストアだ。そこなら噂が立っても、俺の耳には入らないだろう。
履きなれたサンダルで歩き出す。すっかり沈むのが早くなった太陽は、空にその姿を見せていなかった。
最初のコメントを投稿しよう!