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博多駅から一歩出ると、東京と変わらない、涼しい風が頬に触れた。休日だけあって駅前広場を行き交う人は多く、会ったこともない人物を見つけるのには、なかなか骨が折れそうだ。
手紙によると、佐藤は時計の下で待っているらしい。橙色のトレンチコートに藍色のロングスカートを合わせて、黒縁の眼鏡をかけていると書いてあったから、俺は目的の人物を探して広場をうろついた。
するとローマ字の時計の下に、それらしき人物の姿を見つけた。五〇代なのだろうが、雰囲気にくたびれたところはなく、近づいてみても顔にシミは一つもなかった。四〇代はおろか、三〇代後半と言われても、納得してしまいそうだ。
「もしかして、佐藤南美さんですか?」
話しかけると、相手は俺の言葉に、にかっと目元を緩ませた。白い歯ものぞかせていて、返事を聞く前に俺は早くも確信する。
「そうですけど、もしかして、矢田部剛さんですか?」
俺が頷くと、佐藤は小さく息を吐いてみせた。一人で福岡まで来た俺と、同じ不安を抱いていたのだと分かる。
「はじめまして」と挨拶をしあう。たぶん俺たちは駅前の空気に、溶け込めていたのだろう。誰も俺たちを見やることはなかった。
「すみません。こんなおばさんで。がっかりしましたか?」
「いえいえ、十分お綺麗ですよ。僕の方こそ、こんな白髪交じりの、どこにでもいそうなおっさんですいません」
「もう三五年も経ってるんですよ。お互い年とりますって。むしろあの頃文通してた相手は、ちゃんと同い年の男の子だったんだって安心しました」
「そう考えると、今こうして会えているのも、奇跡かもしれないですね」
そう口にすると、佐藤は思わず笑みを漏らしていた。
「どうしました? 僕、何かおかしなこと言いましたか?」
「いえ、何でもないです。そうですか。奇跡、ですか。確かにそうかもしれませんね」
かぶりを振りながらでも、佐藤は笑っていたので、この人はきっと笑い上戸な人なのだろうと、俺は解釈した。こちらの気分まで乗せられていくようだ。
佐藤は上機嫌なまま、「じゃあ、行きましょうか。目当ての公園までは歩いて行ける距離なので、私についてきてください」と言って歩き出す。
ただでさえ慣れない土地なのに、俺はスマートフォンも持っていない。だから、佐藤についていくしかなかった。
小柄な佐藤は歩幅も小さかったので、歩調を合わせるように、俺はゆっくりと歩く。
信号待ちの間に、空を見上げる。一面雲に覆われていたが、雨が降りだしそうな予感はしなかった。
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