オールドペンフレンド

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 目が覚めた時に最初に感じたのは、口に張りついたガムテープの感触だった。息苦しさにもがくと、両手両足がロープで縛られていることに気がつく。手に当たる冷たい金属の感触。身体の自由が奪われていることを悟るのに、時間はそうかからなかった。  視界の中央に、佐藤がいた。緑色のゴム手袋をして、右手には鈍く光る出刃包丁を持っていた。  冷静になんてなれるはずもなく、俺は声にならない声で喚いた。 「起きて早々元気がいいですね。どうせもうすぐ死ぬっていうのに」  佐藤が一歩ずつ俺に近づいてくる。何とか逃げようと身をよじったけれど、手足を縛るロープはびくともしない。 「あがいても無駄ですよ。ここは街の外れにある廃ビル。今は解体工事中で、誰も寄りつきません。五〇代の男の身体を、ここまで運んでくるの大変だったんですから。弟にも手伝ってもらってなんとか運び込めました」  先ほど俺を気絶させたのは、その弟か。しかし、合点がいっても、状況は何も変わらない。 「矢田部さん、少し話しましょうか。といっても、私が一方的に喋るだけですけど」  佐藤は一歩踏み込めば、俺に触れられそうな距離で立ち止まった。鋭利な刃先に思わず目がいくが、何とか逸らす。 「矢田部さん、実は私たち初対面じゃないんですよ。前に会ってるんですけど、覚えてます?」  記憶を辿ろうとしても、脳はパニックを起こしていて、うまく働いてくれない。瞬きしか俺にはできなかった。 「やっぱり覚えてませんか。そりゃそうですよね。だって私たちは、一言も言葉を交わさなかったんですから。矢田部さんが証言台で、私が傍聴人席。話ができる状況になんてなかったですもんね」  俺の頭は相変わらずパニックに陥っていたが、前面に八年前の情景が思い起こされた。  俺を見つめる裁判官。訥々と読まれる判決文。 「分からないんなら、言い方を変えましょうか。私、本当は佐藤なんて名前じゃないんです」  そう言うとその女は、しゃがんで俺の目元にまで、視線を合わせた。  目に会ったときの微笑みはもうない。憤怒と憎悪が迸っていた。 「江原才三(えはらさいぞう)。この名前、ご存知ですね」  俺は頷いていた。その名前を出されたら、全てを諦めて、受け入れるしかない。
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