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「可哀想な尊。可愛いって言われたいだけなのにな。……だから俺がいっぱい言ってあげる。こんな尊を可愛いと思ってるのは世界で俺だけだから」
そう言うと自分の方へ俺の顔を向かせ、そっと唇を重ねた。舌を入れて蹂躙するような激しいものではなく、優しく触れるだけのキスだった。
「尊、可愛い」
そっと大事なものを扱うように、丁寧に紡がれた〝可愛い〟の言葉に、鼓動が甘さを孕んで胸に響く。
頭のどこかで警鐘が鳴っているのに、そんなことがどうでもよくなるくらい圭人から与えられる〝可愛い〟に心が囚われる。
「……本当にそう思ってるのか?」
返ってくる答えは分かっているのに、その甘い響きを味わいたくて聞き返す。
圭人は笑みを深めて頷く。
「こんなことで嘘なんかつくわけないだろ。本当に可愛いと思ってる。可愛い。そういう疑い深いところも全部、本当に可愛い……」
そう言って、また圭人が口づける。今度は舌が口の中に滑り込んできた。しかし、俺は今までのように抗うことはしなかった。むしろ積極的に舌を絡め圭人のキスに応じた。
そのことが嬉しかったのか圭人の舌の動きが荒々しくなる。
「っ、は、本当に可愛い……っ」
熱い吐息に濡れた声で呟いて、座椅子ソファの上に俺を押し倒した。
その後も、圭人は何度も可愛い可愛い、と気が狂いそうなほど繰り返し俺に囁きながら抱いた。
その度に、幼い頃の劣等感が、〝可愛い〟に対する羨望と憧憬が、歪に満たされ、喘ぐ口の端に笑みが零れた。
その笑みを認め、圭人の目がうっとりとしなる。きっと完全に自分は圭人の策略に嵌まっている。
しかしそんなことは、与えられる〝可愛い〟の言葉の前では瑣末なことだった。
「尊、可愛いよ。可愛い……。これからは美優のしっかり者のお兄ちゃんじゃなくて、俺だけの可愛い尊だからね」
優しく言い聞かせる圭人に、こくりと頷き返すと、褒美とばかりに深い口づけをされた。
目をつむっても瞼の裏に蔑む誰かの姿が浮かび上がることはもうなかった。
―了―
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