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「……どうして今頃」
「そうだな。こんな場所で話すことじゃないんだが……俺、子供がいるんだよ」
そもそも鈴宮は朱鳥よりも八つ歳上のはずだし、あれから十年も経っているのだ、子供がいてもおかしくはない。
「それが何か」
冷ややかに一瞥くれると、朱鳥は早く続きを話して解放してくれとその目線で訴える。
「娘なんだ。アイツ、男に遊ばれて妊娠騒ぎを起こしたんだよ」
「え?」
朱鳥は咄嗟に、幼い子供のはずなのに計算が合わないと困惑したが、そもそも鈴宮は妻がいることすら隠していたような男だ。あの当時からすでに子供がいたとしてもおかしくはないのだ。
それが表情に思いが出ていたのだろう。朱鳥を見つめて苦笑すると、あの時からいたよと鈴宮は答え、覇気の無い顔で話を続ける。
「不幸中の幸いなのか、妊娠はしてなかったんだけどな。まだ中学生の娘が無責任に汚されたんだ。そしたらなぜかお前を思い出してな」
「……なにそれ。今になって、彼女が私に重なったとでも言いたいの?」
「勝手だけどそうだ。親の立場になって、初めて自分の愚かさが身に沁みた」
朱鳥はとっくに成人していたが、それでも男性経験のない状態だった。
純粋に鈴宮を信じて疑わず、モノのように扱われてもそこに彼の想いがあると信じていた。
「本当に申し訳なかった」
「それやめてくれない?あなたは満足でしょうけど、今更謝られたところで何も解決しないのよ。いい加減、その身勝手な自己満足の押し付けはやめて」
娘の相手が謝れば許せるのかと朱鳥が吐き捨てると、確かにそうだなと鈴宮が項垂れて肩を落とす。
「それにしても、鈴宮さん……今日はなんでこんなところに」
まさかオフィスが近いのだろうか。そもそも会社のロビーで聞こえた朱鳥を呼ぶ声も、鈴宮が発したものだったのだろうか。
「ああ、仕事でたまたまな。打ち合わせをしている時に、後ろの方でお前を呼ぶ声が聞こえたんだ」
「じゃあ、ロビーで?」
「ああ。まさか本人だとは思わなかったが、謝りたいと思ってたから気になってな」
里美とケータリングを待っている時に、名前を呼ばれたような気がしたのは気のせいではなかったのだ。
その言葉を聞いて、朱鳥は身体が冷えて震えるのを止められない。
「……仕事で来てたなら、あなたの今のオフィスが近くにあるのか、それとも近くに……この辺りに住んでるの」
「謝罪じゃ足りないだろうし無理かも知れないが、俺に今更お前をどうこうするつもりはない。つきまとったりしないからそんなに怯えるな」
朱鳥が尋ねる意図を理解したのだろう。鈴宮は苦笑いすると地方都市の名を挙げ、こちらには出張でたまたま来ただけだと念を押した。
「……そう。話が終わったのなら、もういいかしら」
ホッとして口元を覆うと、小刻みに震える手を温めるように大きく息を吐き出す。
「朱鳥。お前、結婚してるのか」
「え?」
「それ」
鈴宮が左手の指輪を指して、結婚指輪か何かだろと表情を緩める。
「お前を深く傷つけたんじゃないかと思ってたから、もし結婚してるなら良かった」
「いや、これは……」
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