1.三十歳の教育実習生

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1.三十歳の教育実習生

1.三十歳の教育実習生 「皆さん、お待たせしました!」 情熱的で艶やかなテノールの大声に教室中の窓がびりびり震えた。教室の壁を越えて廊下の突き当りからこだまが返って来るかと思えるほどの押しのある声だった。 が、次の瞬間…… グウォン! 教卓の前、最前列の生徒が、歩道に突っ込んでくる車を避けるように飛びのいた。両手を上に放り出すようにして。上体を勢いよく反り返らせるようにして。 三十五人の生徒が一斉にあっけに取られた瞬間だった。 ふだん注意力不足の生徒も、机に半分うつぶせかけた男子生徒も、上目遣いで前髪いじりに余念のない女子生徒も、一斉に教壇上の教育実習生に注目した。 かたわらで見守っていた私だって瞬間、何が起こったのか飲み込めなかった。 「ど、どうなさったんですか⁉」 私も片手を上げ教壇に駆け寄ろうとしかけて、固まった。 教育実習生が初日始まってから五秒もしないうちに倒れたとしたら、前代未聞の事件だ。指導教諭としての私にも責任の一端が押しつけれられかねない。 「あははははー」  実習生が額を押さえながらゆっくり上体を起こす。直角に曲げられた腰がスローモーションビデオのように伸びてゆく。 事態を飲み込めた女子生徒がクスクス笑いだす。男子生徒どうし呆れたような冷笑を交わし合う。 「なーんだよ、びっくりさせやがって」 「ちょっと、オーバーじゃない?」 「そういうのって、かえって白けるんだよね……」
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