(6)

10/31

265人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
 自己紹介なんてものもなく名前さえ名乗らない友さんの言動に便乗し、同僚という立ち位置で会話は進んでいく。乗り気ではない俺の態度を友さんは何も言わす「こいつコミ障なんで」とこの場限りの俺を作った。 たわいも無い話をしながら二杯目のカクテルが空になった頃、頬を少し染めた友さんはトイレへと立った。  その後を追いようにくみさんもトイレへと立ち上がる。  友さんのことだからと、自惚れているわけではないが女と……なんてことはあり得ないと思っている。上司としての信頼もあるけど友さんは俺に惚れているという自信みたいなものがある。    浮気とかそんなことは今、俺といるのだからあり得ないと思いながらその後ろ姿を見ていた。 モゾモゾと座り直したかおりさんは酒に弱いのか潤んだ瞳と若干揺れる体を背もたれで固定するように深く座った。 「あの方……みたいな素敵な同僚がいて羨ましいです…うちなんておじさんばっかりで出会いもなくって……」 可愛く微笑みながらそれでも熱い視線を外さない。それは誘われているってことなんだろうか。いや、誘われているんだよな……そう思いながらグラスへと視線を落とした。 「そうなんだ……」  以前の俺ならその誘いに乗っていたかも?しれない。合コンなり逆ナンなりそれなりに経験はある。自暴自棄になっていた頃の俺は何も考えずその誘いに乗っていた確率は高かった。  でも今は心も体も満たしてくれる友さんがいる。そんな中浮気をしようなんて思ったことも考えたこともない。 「いつまでこちらにいらっしゃるんですか?」 「明日には帰ります」 「私……真田さんと……あっ」 慌てて口元を押さえた彼女は俯いた。 名前は名乗ってはいない。なのに彼女の口から俺の名前がいきなり出た。 戸惑ったのは俺も同じ。ここは俺の地元なのだからもしかしたらとその様子をじっと見つめた。 「ごめんなさい……私……高校生の頃から真田さんを知ってます……」 頃からではなく高校生の俺を知っているってことだろうと突っ込むのはやめた。小さく項垂れた彼女の姿が小さく震えているように見えたから。 「私、部活の後輩なんです」  高校の陸上部の部員数はかなり多かった。さほど有名な選手はいなかったが経験者が多い部だったのでそれなりにレベルは高かったことを思い出す。 「……居酒屋で真田さんを見かけて、私ずっと憧れてて、それで、追いかけて声かけたんです……高校の時はライバルも多くて、私なんて相手にされることもないと思ってたので……ここで声かけないとダメだって……」 「後輩だったんだ。俺こそ気付けなくてごめんね」  顔を上げて真っ直ぐ見つめる彼女の瞳は膜をはり今にも溢れそうなほど揺れていた。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

265人が本棚に入れています
本棚に追加