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千夏が顔を上げた。動揺で瞳が揺れていた。
「夜には新幹線に乗るんだ」
事実だけを伝える事で、律は自分に踏ん切りをつけようとしていた。
千夏は太陽のようなものだ。雲は前を通り過ぎて行けばいい。律は千夏を押し出すように、身体を離した。また千夏の髪から、雫が滴った。
「いやだ、いや」
千夏が小さく言った。首を振る。雫が舞った。
律はタオルを放った。千夏は咄嗟に受け取った。
「汗臭かったら、ごめん」
「……もう、ほんと馬鹿」
千夏は呆れたように呟いた。声が震えている。
「……ありがと」
律はかろうじてそう言い、部屋に向かった。
もうこれ以上、千夏の顔を見ていられなかった。
彼女は自分にとってこの町の最後の想い出になる。その綺麗な風景ごと、そのまま残しておきたい気分だった。
蝉が思い出したように鳴き始めた。(終)
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