プロローグ

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プロローグ

俺の名前は木村直哉(なおや)。 生まれたときは違う名前だった。この名前を名乗るようになって…そろそろ十年てところ。 最近ではもうありふれた話だ。 俺が小学校に上がるときに両親が離婚して、この名前になったということ。ちなみに生まれてから保育園時代までは「大下直哉」だった…らしい。 保育園時代の持ち物には確かにそう書いてあるし、事実としては理解してるんだけど、俺は「大下くん」と人から呼ばれた記憶はさっぱりない。 だって小さい頃は、みんなに名前で呼ばれることの方が多かったし。親や保育士の先生たちは「直ちゃん」、男友達からは「直哉」って呼ばれてたかな。 自分の苗字なんて意識してなかったような時代だったから、俺にとって今の名前の方がしっくり来てる。 俺が小学校の四年生になったとき、けっこうどこの小学校でもやっていた二分の一成人式とかいうクラス行事があったんだ。 一緒にサッカーをやってる二学年上の人からは、名前の由来を書かかされたとか聞いてたけど、外国ルーツの同級生が増えてきたり、それ以外にも俺たちの同年代には多種多様な名前があふれてることで、俺たちの上の学年から作文の課題が変わったんだって。 確かに四年生時点でまだ習っていない漢字なんてざらに使われてたし、自分の名前ならともかくクラスメイトの名前の難しい漢字なんて、由来を説明されても多分わかんないし。 そんなわけで俺たちの学年には、将来の夢を作文に書きましょうっていう課題が出たんだけど、俺は何となく気になって『俺の父親って何してた人なの?』って初めて母親に聞いてみたんだ。 でも、そもそもそれがおかしいと思うんだよ。 保育園卒業まで父親の姓を名乗ってたんだ。さすがに年長くらいの年齢になれば、家族のことだってちゃんと認識するだろう。いや、もっと前から「お父さん」と「お母さん」の顔くらい普通にわかる。 どちらかがいないのであれば、「いない」ということを認識している。 でも、四年生の時点で、俺の記憶には父親の顔は残っていなかったし、なぜいないのか、本当にいないのかもよくわかっていなかった。
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