1.宇宙人、現る

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1.宇宙人、現る

 見慣れない女子が座っていた。  超ショートボブで、黒々と日焼けして、制服が女子用のものじゃなかったら、男子かと見間違えそうである。  窓際の一番後ろの席で、朝から灼熱地獄と化した校庭を涼しい顔をして眺めている。  あの席は、先月突如として姿を消したユウカがいつでも戻ってこられるように、空けていたはずだ。  中高一貫校の嵐西(らんせい)学園で、高校二年ともなれば、同学年の生徒の顔は全員覚えている。それなのに宮川(たすく)は、その女子生徒に見覚えが無かった。  リュックから教科書とノートを出しながら、宮川は、初めて見る女子から目が離せないでいた。 「おう、タスク、今日は早いな。連続遅刻記録、更新ならず! 残念!」  太田(さとし)が、遅刻しなかったことを茶化しながら、近寄ってくる。宮川は心を入れ替えたつもりはないが、この日はたまたま、早く登校したのだった。 「どうかしたのか? なんか変だぞ」  サトシは、自分が無視されたと思ったのか、宮川の肩に手をまわした。 「いや、あの子、誰だろうって思ってさ。転校生かな?」  サトシは不思議そうに首を回し、やがて、首を傾げる。 「は? 誰のことを言ってるんだ?」 「ほら、あそこのユウカの席に座っている……」  宮川は日によく焼けた女子を指さす。オリエンタルでエキゾチックな雰囲気のある彼女は、宮川に気付いたのか、ペコリと頭をさげた。宮川は、苦笑いするのがやっとだった。 「ユウカじゃん。何言ってんの?」  サトシがぽかんと口を開けていた。  朝のホームルームが始まっても彼女の紹介は無く、誰も転校してきていないかのように、普通に授業が始まった。 「じゃあ、石井さん、次の問題の答えはわかりますか?」  一限目の数学の教師も、彼女がいることに違和感が無いようだった。彼女は、石井ユウカの名前をそのまま名乗っている。 「はい。2+2(アイ)です」 「正解! よくわかりましたね。石井さん、座っていいですよ」  本物のユウカとすり替わっている。  偽者のユウカは、まるで、それが当たり前であるかのように、過去からそうであったかのようにごく自然に振舞っている。座った(にせ)ユウカと目が合った。目鼻立ちも、背格好も、色黒の肌もまるでユウカとは違う。宮川の心境を知ってか知らずか、偽ユウカは、にっこりと笑った。 「虚数×(かける)虚数が‐1(マイナスいち)ですよね。このように、虚数iが発見されたことによって、全ての二次方程式が解けることになったんですね。複素数というのは、虚数と実数の組み合わせで……」  宮川は、何が起こっているのか理解できないでいた。  数学教師の説明する虚数の話も何を言っているのか理解できていないが、そのことではない。  偽者のユウカが、皆に受け入れられていることだ。自分以外の皆が、記憶をすり替えられたと考える以外、この状況を説明することができない。  そんなことが起こりうるのだろうか……。昨日のと何か、関係があるのだろうか。 ーー昨日は、日が暮れても、うだるような蒸し暑さだった。  部活を終えた帰り道、宮川は、少しでも早くクーラーの効いた部屋で落ち着きたく、猛烈にペダルを漕いでいた。  クマゼミが、夏の全盛を知らせようと、けたたましい鳴き声で煽ってくる。宮川は普段は通らない裏道を抜け、県営住宅の中を突っ切ろうとスロープを上る。  野球部の練習明けには、少しきつい。地方大会を前に、散々走り込みをさせられた後だから。  付属の公園沿いに走り、集会所の前を通り過ぎようとして、急ブレーキをかけた。 「こ、これは、ひょっとして!?」  集会所の壁面に、カラフルなスプレーで落書きがされていた。  幾何学模様のような、でも立体的にも見えるような不思議な絵。眺めていると、騙し絵のように少年の顔が浮かんでくる。 「あ、アサヤシーだ!」  アサヤシーは、覆面芸術家だ。落書きという非合法な活動をしながら、オークションサイトにも自らの作品を出品している。アサヤシーの作品が高額で取引されるだけでなく、落書きされた壁をはぎ取った瓦礫のようなものですら、数十万円の値がついたことで、一気に有名人になった。  アサヤシーが、売り上げの一部を、福祉団体に寄付しているという噂も、人気に拍車をかけている。 . 宮川は、アサヤシーの落書きを眺めているうち、気持ちが安らぐような、不思議な感覚に囚われる。 「これが、名画の魔力か……」  このままでは心まで奪われそうな錯覚に陥り、ここにいてはまずいと、再びペダルを踏んだ。  視線の端で、まだ乾いていない赤い塗料が垂れた。  選手の掛け声と打撃練習の金属音が聴こえてくる。県内一の強豪校であるK学園の野球グラウンドの横を通る。  夜間練習のための照明施設が活気あるグラウンドを煌々と照らしている。 (こんな夜遅くまで練習させられるとは、練習環境が良いのも善し悪しだな)  ライバルと呼ぶにはおこがましいほどの存在だが、スパイと怪しまれるのを心配して、宮川はあまり練習風景を見ないようにして進む。  その時、激しい閃光に包まれた。  視力を失い、ゆったりとした時間をかけて体が浮かび上がる。そして、記憶が彼方に飛ぶ。  目の前にユウカが立っていた。嵐西学園の制服を着ている。  ユウカを見たのは、何日ぶりだろう。 「ど、どこに行っていたんだ? 今まで、何をしていたんだ?」  ユウカは微笑み、肩までかかる髪をふわりとなびかせてむこうを向くと、何も答えず、駆け出した。 「お、おい! せっかく再会したのに、どこに行くんだよ。話しを聴かせてくれよ」  宮川は追おうとしたが、体が動かない。どんどんユウカが小さくなる。  ジージーというアブラゼミの騒音、車が急ブレーキをかける音も耳障りだ。  宮川が目を開けると、ぼんやりと視界が復活する。  道の先にいるはずのユウカがいない。車を降りた中年ドライバーが、心配そうにのぞき込んでくる。  宮川は、自転車から投げ出され、倒れていた。首に力が入らない。ぐったりと垂れ、道のはるか先をのぞんでいた。 「あんちゃん、大丈夫かい? 立てるかい?」  通りすがりの車のおっちゃんは、親切である。 「ユ……ユウカが……。ちょ、ちょっとまってよ。まってよ! ユウカ!」  宮川は、幻かもしれないユウカの影を追う。倒れた自転車を起こし、追いかける。 「おい、あんちゃん、聴こえてるのか? 大丈夫か? 無理するなよ」  おっちゃんの声は聴こえており、ありがたくはあるが、返答するのが億劫だった。  ジンジンと側頭部が痛かった。ペダルと踏み込むたび、悶絶する。数漕ぎで、先を目指す目的が分からなくなった。  アスファルトの裂けめに咲く一厘の白いユリ。  それを目にした時、道端に転がっていたボールを踏んづけて、宮川は、田んぼに落ちたーー
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