最恐の男

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 空になったグラスを置くと「あ、そうでした」と言って思いついたようにバッグの中に手を入れる。すぐに指先で摘んだUSBメモリー。 「この中に防犯カメラの映像が入っています。千愛希さんの着替えと曽根さんの行動も」 「え!?」 「誓約書を棄却された場合の証拠としてとっておくつもりでしたが、もう必要ないものです」  律はそう言いながら、差し込み口を出した状態で水の入ったグラスの中に放り込んだ。ポチャンと心地よい音が響く。波紋が広がり、細かな気泡が湧き上がった。  防水機能のついていないそれは、暫く水につけておけば中のデータを全てダメにしてしまうだろうと思えた。  律はその場に立ち上がり、「御足労いただきありがとうございました。初めに言いましたが、ここの焼酎は絶品ですので是非」と笑みを浮かべてボイスレコーダーの停止ボタンを押すとそのまま背を向けた。  暫く律がいなくなった向かいの席をじっと見つめていた睦月だったが、ストンと体中の力が抜けると、はぁーーと大きなため息をついて、その場に突っ伏した。  目線はグラスの中のUSBメモリーに向く。すぐに取り出して綺麗に水気を取れば、まだ中のデータは生きているかもしれない。一瞬そんなことを思う。  しかし、最後の最後まで律に試されている気がした。もしかしたら、他にもボイスレコーダーが仕掛けられていて、後日回収に来るかもしれない。その為に早く来ていたのかもしれないと疑いだしたらキリがなかった。  もうそこに律の姿はないのに、未だに睨まれている気分になる。 「……こっわ」  ぶるりと震える肩をさすって、睦月はグラスの中に人差し指と中指を突っ込んでUSBメモリーを取り出した。それをおしぼりの上に置いて水気を取ると、左右の端を両手で持って下方に向かって折り曲げた。中の金属が湾曲し、ミシミシと鈍い音を立てた。 「俺だって善意くらいあるからな……」  ポツリと呟いた睦月は、泣く泣く動画を諦める決心をした。
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