見据える未来、払拭できない過去

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「律ー、よかったのに。送ってくれなくても」 「そういうわけにはいかないよ。ほら、番号何番?」  すっかりふらふらの千愛希の腕を支えて歩く律。やっぱり1人で帰さなくてよかった、と思いながらマンションのエレベーターを待つ。  律の友人達の中にも高級マンションに住んでいる者は何人かいるが、その中でもハイクラスだな、と律はエントランスを見渡して思う。  エレベーターに乗り込むと、急に空間が狭くなり千愛希との距離感に少しだけモヤモヤした。見下ろす千愛希の顔は、店内ではわからなかったが、頬から胸元にかけて赤く変色していた。  やっぱり相当酔ってんな……。部屋に着いたら直ぐに帰ろう。帰宅するところまで見送れば、いくら酔ってても少し冷静になるだろうし。  そう思いながら、家の玄関まで送り届けた。 「律ー! ありがとうね! またねー!」  廊下に座って玄関で靴を脱ぎながら大きく手を振る千愛希。思わずふふっと笑いが込み上げた律。小さく手を振り返し、扉を開けた。  外から閉まっていくドアを振り返って見た途端、踞って膝に顔を伏せている千愛希の姿が目に留まった。すっかり電池切れのオモチャみたいに固まってしまったようだった。 「……千愛希?」  律は、わずか数cmとなったドアの隙間に手を入れ込んで、もう一度大きく開くとその様子を伺った。 「……ん。おやすみ」  そう発した千愛希に近付いた律は、隣にすとんと座った。 「中、入んないの?」 「……入るよ。律、帰んないの?」 「帰るよ。帰るけど……なんか、帰れない」 「なに、それ。変だよ」  千愛希はクスクス笑うけれど、踞ったまま顔を上げようとはしなかった。律はそっと手を伸ばして、肩から下に伸びた髪をすくった。それを耳にかけると、露になる頬は濡れていた。  ……やっぱり。  千愛希は肝心なことはなにも言わない。全く煩わしいことを求めてこない代わりに、肝心なことも言わない。  律はそのまま千愛希の体を優しく抱き締めた。
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