見据える未来、払拭できない過去

1/55
前へ
/390ページ
次へ

見据える未来、払拭できない過去

 千愛希は大きく深呼吸をしてからドアをノックして中に入った。初めて入る事務所は、掃除が行き届いており、綺麗だった。  射るような複数の鋭い視線が千愛希を捕らえた。12月中旬のこの時期に感じる屋外の空気のようだと千愛希は思った。 「おはようございます。本日からお手伝いをさせていただきます、土浦千愛希です」  千愛希は深く頭を下げた。しかし、やはり周りの視線は冷たい。ほとんどの社員が睦月との婚約破棄を知っているのだ。そして、ここにいる社員は全員と言っていいほど睦月側の人間だった。  考えの相違で破談になったと睦月は言ったが、睦月の結婚よりも仕事を優先させた冷たい女だと社内で噂になった。  アプリ制作の技術に加えて課金による売上も未だうなぎ登りの千愛希に嫉妬する社員も多い。社長秘書でありながらそれだけの売上を得ている千愛希のことを社長の愛人だと揶揄する者もあった。  更にそんな噂に尾ひれがついて、社長とその友人である睦月に同時に手を出し、不倫が発覚したことで睦月が婚約破棄を持ちかけただなんて言われる始末。  その噂を鎮圧させるためにも睦月は事務所移動を企てたのだが、それが裏目に出て愛人としての権力を使って千愛希が睦月を追い出したとさえ言われた。  千愛希は全く知らぬ振りを通したが、決して傷付かないわけではなかった。睦月は弁解して回ったものの、反対に同情され千愛希の評判はガタ落ちである。  そんな中、元婚約者のもとに手伝いという名目のもと技術をひけらかしに来るのだ、と睦月の部下達は千愛希の出勤前から陰口を叩いていた。
/390ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10275人が本棚に入れています
本棚に追加