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流石にダイニングで共に、と言うのは避けた僕たちは先程のリビングで顔を付き合わせてお昼を食べていた。
どうしてこうなったんだ。さすがの先生も顔には出さないけれども、うんざり気味だ。しかし中川さんの作った昼食はとても美味しいのでぐうと腹の虫がなり始めていた僕にとってはありがたいものだった。
「鎌倉野菜のサラダに漁港から仕入れた新鮮な魚のカルパッチョ、葉山牛のローストビーフ……和洋折衷さまざまな季節の料理といったところか。中々やるじゃないか、彼は」
目ざとく皿に並べられたメインディッシュや副菜を見て、先生はふうんと唸った。先生の方が食は細いので、僕のように目で楽しむ前に食べてしまうような無粋をしないようだ。
こう見えても男子高校生。僕はいわゆる食べ盛りなので、有機野菜で作られているかどうか、地産地消なのかどうかはなどは気にしない。それよりも味が自分に合うかどうかに興味が行く。
そして中川さんの作った料理は僕の舌を掴んで離さなかった。こんな料理はそうそう食べる事はない。数年前に行った従姉妹の結婚式で食べた豪華なコース料理以来だろうか。
「君ねぇ、もう少し味わいながらお食べよ」
先生が呆れ顔で言うので僕はむすっとした。
「こんなに美味しい料理、そうそう食べないじゃないですか」
「料理は逃げやしないだろうに」
そう言って先生は苦笑して少しずつではあるが料理を口に運んだ。ゆっくりと味わうような所作は、まあまあ様になっている。礼儀作法に関してはこの人は何故かしっかりしている。
一応はそれに倣ってお行儀よく食べてみるが、味の違いは良く分からない。
「それにしても、ただもてなされているだけのような気がしないかい」
「します。これじゃあお客さんですよね」
玉ねぎの甘さだけは分かるが、それ以上に何かとにかく美味しいソースのかかったローストビーフを一切れ口に入れて咀嚼してから答える。
実際、自分たちが昼食を頂くという話を聞いた時の佐々原さん、羽田さん両家の反応たるや。調査に来た探偵に対しての態度にしては厚遇すぎやしないか。
そんなことを考えつつぺろりと僕は昼食を完食して、先生が完食するのをただ待つばかりとなった。
外は庭園に小鳥が集まって囀り、木々が風に揺れて大変にのんびりとした昼下がりだ。部屋の中には先生の小動物のような咀嚼音と小鳥の囀り、隣室での楽し気な会食の音だけが響いている。
「平和ですね」
「平和だと僕は困るんだが」
探偵の商売が上がったりなのはとても良い事なのだと僕は思うのだが、先生からしたら生活にかかわるのだからそうではないのかもしれない。
隣室からドアの開く音がする。歓談の最中に誰かが席を立ったのだろうか。特に気にも留めずに外をぼんやりと見やる。
――パリィン。
それは平穏を打ち砕くには十分な音だった。先生はバンッとカトラリーを机に叩きつけて立ち上がると僕を置いてひらりと身を翻して部屋の入り口に走った。僕も慌てて駆け寄ろうとしたが、なにぶん先生はひどく小回りが利く。ドアから飛び出すと廊下に出て、ダイニングのほぼ正面にある開いているドアに飛び込んでいた。
僕が廊下に出た時には既にダイニングから羽田さんも佐々原さんも顔を覗かせて何事かとドアの中を見つめている。
先生に倣ってその開いているドアに飛び込むと、そこは地下への入り口だった。客には見せる場所ではないのだろう。質素なつくりの階段を駆け下りていくと降りた先に先生がいる。
その背後から中を覗いて、僕は戦慄した。
床に真っ赤な液体が広がっている。その傍には割れたワインの瓶と腰を抜かした中川さんがいる。
――そして、天井から、男の人が首に縄をかけて首を吊っている。
それは一見すると奇妙な果物が木に成っているかのような姿に見えた。しかしそうではない。よくよく見れば、いや、もしかしたら僕の脳みそがソレを理解することを拒んでいたのかもしれない。とにかくそれは見知らぬ男性の首吊り死体であった。
フラッシュバックする。学校で起きた事が。演劇部。緞帳の中。隠された死体。泣いていた。泣いていたのは誰だ。ああ、そうだ。夕暮れの教室で。
「た、田代」
その言葉にハッと意識が現実に引き戻された。腰を抜かしている中川さんが一言だけそう呟いたのだ。
「田代って……」
僕が言葉にする前に羽田さんと佐々原さんが地下室にやってきて僕と同じように異様なものを見たショックで口を大きく開けた。が、立ち直ると慌てて、そして田代と呼ばれたその遺体を床に下ろすべく地下室に立ち入ろうとした。
「遺体は動かさないでくれ!」
それを遮ったのは先生の叫び声だった。それから先生は「お二人は上階にいる宮下医師を呼んできてくれ。それから警察と、無駄だろうが救急にも連絡を」と言い、僕に向き直る。
「境くん、君は中川さんを上階に」
「あ、わ、分かりました」
僕は先生の指示に従っていまだ腰を抜かしている中川さんに手を貸すと彼を立たせて背中をさすりながら階段を上った。
僕たちと入れ違いざまに宮下医師が真っ青な顔をして転げ落ちるくらいの勢いで階段を駆け下りていく。僕たちの背後で先生が脈の確認を頼んでいるのが聞こえた。
一階まで登ってくると、警察には佐々原さんが電話をしているようだった。羽田さんは額に浮かんだ冷や汗をハンカチで抑え、両家の母親たちはどこか落ち着かなそうにしている。靖さんは一応ダイニングからは出てきているものの、特に関心はなさそうだ。
「中川さん」
と、僕と中川さんに声を掛けてくる人がいた。由希絵さんだ。彼女は白杖を握って軽く振り、手すりをもって僕たちを、というか中川さんを探しているようだった。
「中川さんはこちらですよ」
そう僕が声を上げると由希絵さんはその声を頼りに近づいてきて、口を開いた。
「中川さん、田代さんが亡くなられたなんて本当なんですか……?」
中川さんは、その言葉に答えられないようで俯いたまま口元を手で抑えている。ショックは大きいのだろう。今はそっとしておいてあげたほうがいいかもしれない。
「田代さんが亡くなられたのは、本当です。中川さんは今ショックを受けられているようなので……」
「そう、ですか……ごめんなさい、私ってばこんな時に」
由希絵さんも僕の言葉にショックを受けたようで顔を俯かせてしまった。由希絵さんの事はお母さんの顕子さんに任せることにして、僕は先ほどまで僕たちがのん気に昼食を食べていたリビングのソファーに中川さんを連れて行った。
そのまま僕は中川さんについていたが、やがて遠くからサイレンの音が聞こえてきた。中川さんをその場に残してリビングから顔を出すと玄関から警察の一団がなだれ込んできた。その奥から救急隊員も数名入ってきたが、恐らくはもう……。
「通報者は誰だ?」
厳しい口調の中年男性が草臥れたスーツ姿でそう言った。僕はその姿に「アッ」と声を漏らしてしまい、ついついリビングに隠れてしまった。
見つからないで欲しい時ほど簡単に見つかってしまうものだ。「あん?」と顎をさすった格好で、その男性はこちらに近付いてきて僕を発見し、そして目を丸くして「あ!」と声を上げた。
「お前北条の時のガキ! なんでこんな所にいやがる!」
「どうしたんですかぁ、望月さん」
リビングで隠れている僕を見つけて怒鳴りつけた中年の刑事を見て、若い刑事が声を掛けている。この顔も、見知った顔だ。
「あれ? 君って確か北条学園の子だよね?」
「お、お世話になりました」
僕は若い刑事――名前を里村という――に頭を下げてからもう一人、僕を睨み付けてくる望月刑事にも頭を下げた。
「おい、まさかお前あの時の話本当に受けたっていうんじゃないだろうな」
「そんなまさかが起きたのだよ、望月警部殿!」
僕を尋問してくる刑事を遮るように燦然と声を上げたのは関係者の中に埋もれていた先生だ。えへん、とでも言いたげに胸を張っている先生の姿を見て、望月警部は肩を落とした。
「なんで都合よく事件現場にいつもいるんだ貴様は!」
「ある種の才能だと思ってくれていいですよ、望月警部。事件のある所に探偵あり」
「馬鹿野郎、この法治国家において探偵なんぞに捜査権があるわけないだろう!」
もっともだと思う。
「でも君たちでは北条学園の鬼退治は出来なかっただろう?」
先生の言葉に望月警部はグゥと押し黙って顔を真っ赤にしてしまう。今にも先生に飛び掛からんとする望月警部を抑えながら、里村刑事が「それで通報者は」と館の関係者を見る。
「それは私ですが、そちらの探偵さんに言われて通報をしただけでして」
佐々原さんが恐縮しきった声で言った。恐らくは先生が警察と懇意にしているのを見て驚いているのだと思う。だが、懇意というよりもただ厄介に思われているだけなのでそこまで恐縮する必要はない。
里村刑事は「じゃあ第一発見者は大津さんですか」と先生を名指しするが、先生は首を振った。
「第一発見者はリビングで休んでもらっているよ。僕と境くんはそのすぐ後に放心している彼と遺体を発見したんだよ」
「待て、貴様まさか高校生に遺体を見せたんじゃないだろうな!」
「見てしまったね、なぁ、境くん」
「え、あ、はぁ」
「子供になんてものを見せるんだ!」
今度こそ望月刑事の鉄拳が先生の頭に命中した。先生はしばし痛がっていたが、それくらいは想定内だったのか「今更じゃないか」とだけぽつりと言った。
「おい、境だったか。今すぐこんな探偵とは縁を切れ。でないとお前の人生めちゃくちゃになるぞ」
「切りたいのはやまやまですがね」
「約束を守る良い子なんだよ、うちの助手は」
そこまでコントのような話が続いたが、関係者一同の困惑を見て取った望月警部はコホンと咳ばらいをして「それでは現場検証に入ります」とやけに形式ばって言ってから地下に降りて行った。
「警部ったら、大津さんに先に事件を解かれちゃって以降機嫌が悪いんですよ。嫉妬かなぁ」
へらっと笑いながら僕にだけ教えてくれた里村刑事も同じように地下へと降りていく。その背中を見送って、振り返ると関係者一同がポカンと僕と先生を見ている。
困惑した彼らを宥めるのは僕たちの仕事じゃない気もするが……。
「さて、現場検証が終わるまでは皆さんはダイニングでお待ちください。ああ、そうだ。境くん。君は中川さんをダイニングへ」
そうてきぱきと仕切って指示を出すと先生はみんなをダイニングへと集めた。その手際には警察官たちもあっけにとられてただ先生のやらせたいようにするばかりだった。
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